努力できないバカで、レールの敷かれた道を歩んできた僕のプロフィール
こんにちは。みみずのみずのです。
1994年生まれの大阪にあるひらパーで有名な枚方に住んでます。
現在は同志社大学2回生。1ヶ月のフィリピン留学を経験。
幼稚園から高校までサッカーをしていました。
高校3年次は偏差値45から関西難関大学のR大学を目指し見事現役合格を果たす。
しかし合格したはずの入学式に行くと座席表に自分の名前がなく、1年浪人が決定。(詳しくは↓です。笑)
やりたいことも学びたいこともなく、「なぜ大学に行く必要があるのか」ということを常に考えるが、答えはでず、軽い鬱と毎晩寝れない日々経験する。
それでも頑張って勉強し、1つランクが上の同志社大学になんとか合格。
1年の魔の浪人期間によって、なかなかのコミュ症を発揮。
大学にいる友達はやっと手と足の指の数くらい。
やりたいことが見つからないという典型的な大学生です。
天才とかすごい人とか見るとよく落ち込んで病みます。
それでも人生のビジョンを見つけるため必死に生きています。
写真左はもう1人の僕。双子じゃないです。もう1人の僕です。
ファイトクラブ。PDRさんの影響を受けてます←
人生つらいことも多いけれど、
そんな荒波さへも楽しめたらいいなと思う大学生のブログです。
そんな僕のこれまで
サッカーしかしてこなかった小学校〜高校生
僕は先生のゆっていることは絶対だと思っていたいわゆるまじめちゃんでした。
また幼稚園から高校まで10年以上サッカーをしました。
その真面目さから中学ではサッカー部のキャプテンを務める。
「いつかはサッカー選手になりたい!」とは心で思いながらも、チームもうまくまとめることもできず。また選抜に選ばれることもなく、そのまま高校へ入学。
「今度こそはサッカーでいい結果を絶対残す!」と決意。
自分でゆうのもなんですがサッカーセンスは少しあったので、なかなか期待されることもありました。しかいメンタルが弱く試合では結果が残せず。
「練習はお前が1番うまいなw」みたいな冗談もゆわれたり。。
1~2年時はAチームの選ばれレギュラーにもなったりしました。
しかし3年時ではベンチが続き、最後のインターハイの初戦では試合にでれず、初戦敗退し引退。
人生で初めて人前で男泣きをして挫折というものを経験する。
受験期
部活も引退し、いままでサッカーしかしてなかったので、将来について考え始める。
しかしサッカー以外にやりたいこともなく、周りはみんな行くしという感じで受験勉強を始めていたのが嫌で、将来の夢とかやりたいことを探すけれどそんなもの見つからず行き詰まってました。
そこで塾や学校の先生に
「やりたいことは大学に入ってから探せばいい。」
と先生とアドバイスを受ける。
そして
「サッカーで挫折した分、受験では成功してやる!」と決意。
難関私立大学といわれるR大学を第一志望に決め、偏差値45からを勉強を始める。
第一志望に受かるため、学部は関係なしに5個受験。
その結果は、、、運もあってか1つだけ合格!
自分の学校でもR大学に受かるのはすごい方だったので、みんなからもなかなかほめられたし、自分でもサッカーで失敗した分めちゃめちゃうれしかった。
でもだれが想像するだろうか。
合格したにも関わらず、このあと僕は大学に入れなかった。
あこがれの第一志望大学の入学式に行ったのがエイプリールフールだった話
僕はみごと第1志望に合格。
4月1日に大学の登校日であるクラス分けテストに行く。
期待と興奮を胸に教室に向かい座席表を見ると自分の名前がなく少し焦る。
でも合格していたので、なんとかなると思っていた僕は4月1日ということもあり、ネタでツイッターに「やばい、合格してなかったかもw」みたいなことをつぶやく。
係りの人に聞くと、職員室に連れて行かれ、なぜかどんどん偉そうな部屋に向かってく。ここらへんでそろそろやばいかな気づき、スマホをみると
「しょーもな」
「そんな嘘はよくないよ、みみずのみずの君??」
「誰がそんなの信じるねん!」
というかんじでなかなかのリプで炎上してた←
僕は1人寂しく助けがほしいのに、むしろ友達から突き放されるのを感じ、ツイートしたことを後悔する。
そしてお偉い2人が出てきて告げられた言葉
お偉い人「誠に申し訳ないですが、あなたは現時点で入学が認められておりません。」
僕「・・・へ?」
聞いたところ、入学金、書類は届いていたけれど、授業料が振り込まれてないので入学手続きが完了してないとのこと。
でも僕は親にしっかり確認していたので、反論するも、振り込まれていないの1点張り。そこで親に電話して確認した。
「最初は振り込んだに決まってるじゃない。」と言われたが、
「ちょっとまって!」と急にバタバタし始め、
「あ、振り込んでなかった!!!!」と言われた。。。
僕「・・・(チーン)」
というのもその日に振り込む案件が2件あって、先に1つをやってそのまま満足し、授業料も振り込んだと勘違いした事がわかりました。。
しょうがないのでもう一度お偉い人に尋ねる。
僕「・・・えーと。ごめんなさい。ではどの時点で入学って認められますかね?」
お偉い人「・・・現時点以降、残念ながら入学は認められません。」
僕「・・・(まじで)」
こうして僕の大学受験は第一志望に合格するも、入学はできなかった。
この日のことは一生忘れない。そして僕は4月1日になるたびにこの日を思い出す。
第一志望合格したけど浪人する←
こうして結局浪人という形になりました。
そしてまた「なぜ大学に行くのか」という疑問が立ちふさがる。
考えてもしょうがないので毎日10時間以上は塾にこもり勉強しました。
でも自習ばかりの毎日で、塾にいるもなかなか集中できない。
必死に勉強して第一志望に受かったのに、入学できなかった現実。
むなしくて軽い鬱になったり、人生について考える日々が続き、毎日ねれない日々が続きました。
寝れないことの辛さというものと、鬱ってこんな感じなんだなーってのを実感しました。(そう思えてるだけまだましだったかもしれないですが。。笑)
第一志望はランクが一個上の同志社大学に設定。
しかし模試を受けほとんどE判定が続く。
そのまま11月頃に、友達に会い、
「お前そのままじゃやばいで」
といわれ、ようやく目が覚め本気で切り替える。
本当に友達とか人って大事だなって思いました。
今回もまた去年と同じように第一志望の同志社を4個受け、
そして、、、、そのうち1個だけ合格!!
なんとかリベンジを果たしました。
ちなみにR大学はセンター方式で受けましたが落ちました。笑
しかし受かったにも関わらず、入学式までなぜか落ち着かず。
なぜなら僕は去年合格したにも関わらず入学できなかったのですから。。。
でも同志社の入学式はエイプリールフールではなく4月8日でした。
そこで座席表が配られ、自分の名前を見つけた時初めて合格したんだなと安心しました。笑
やりたいことを見つけるための大学生活
1年目は大学に入っても遊びまくる人が多いと聞いていたので、先輩と共に「文系の9割が営業職に就いている」ということから営業の学生団体を作り、1年半組織の運営と営業をしていました。
かっこよく言えばテレマーケィング。
普通にいえば電話営業です。笑
最初はタダ働きも経験したし、みんなでなにかを作るということにとても苦労したけれど、ここで得た経験はとても大きなもので、目の前の事をいかに本気で取り組むかという事を学びました。
2年の夏には1ヶ月のフィリピン留学を経験。
その後はTECH CAMPにてプログラミングを勉強。
そこでメンターといわれる教える側のインターンとして受かるために2ヶ月は勉強しましたが、試験で不合格となったのが最近の話。。笑
そして現在にいたります。
これから
次の春から大学3年生になりますが、僕は常に人生迷ってて、やりたいことがまだみつかっていません。また休学も考えたりしてます。
ネットで同世代の人が活躍しているのを見たり、世界一周をする人やシリコンバレーで活躍する人を見たりして、落ち込む事も多く、現実から目をそらすために最近は朝起きるのが嫌で10時間以上寝たりするような僕です。
でも浪人時代を経験したからこそ、いろんなことに取り組もうとなんとか努力しているし、毎日必死に生きてて戦ってます。
たぶん10年以上サッカーだけやっていたので、「なぜ」ということを考えなかった僕です。でもそんな同じ思いをしている人もいっぱいいると思うので、そんな人の励ましになったり、一緒に頑張っていけるようなブログにしていきたいです。