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mimizunoBlog

何気ない日々から学びを受け取るブログ

レールに敷かれた道を外れることについて~これから休学するぼくが考えること

Essay

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いい文章を書くためには、それを伝えたい人を5人ほど思い浮かべて手紙を書くようにすべきだと誰かが言っていた気がします。でも今回は伝えたい特定の人が浮かばないので、僕のことを知っている人たちに向けて書こうかなと思っています。伝えたい人が漠然としているのであまりいい文章ではないかもしれません。

ですが、今回休学を決意するにいたって、自分を振り返るためにも文章を書きたいです。そして現在ぼくは大学3年生ですが、通常このまま進むと就活というものに多くの同期が取り組むと思います。そこで自己分析というものをすると思うのですが、僕はまだ就活はしません。なので同世代が取り組むであろう自己分析をせっかくの機会なのでやってみたいと思います。

自分について

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ぼくの性格といえば、どがつくほどの真面目ちゃんでした。小学生の頃は「学校の先生の言うことには間違いがなく絶対だ」と思ってたくらいで、先生に言われたことを忠実に守り、ほめられるのが好きで言われたことは進んでやろうとしていました。その真面目さから幼稚園から続けていたサッカーで中学生の頃は部活のキャプテンを務めました。が、あまりみんなをまとめられず苦しんだ経験をしました。

また自分はかなりのビビリです。誰かに嫌われるのがいやであまり積極的に自分から話すことは少ないです。自信がないぼくでしたが、それでもサッカーはある意味センスだけはあると思ってました。「自分にはサッカーがある!」と思い続け、他に自信がない分誰かを見返すためにサッカーをしていた気がします。

ですが高校に入ってサッカーで挫折を経験することになります。高校1年目はある程度期待はしてもらって、強豪高でもないけれどAチームの試合に参加させてもらっていました。正直自分の中では「将来はサッカー選手になりたい!」というようなことをずっと心のどこかで思っていました。ですが上手な選手を集める都道府県の代表や、トレセンに選ばれることもなかったです。

だけど「いつかは報われる日がくる」なんて思いながら、自分なりに頑張っていました。だけどそれは単なる自分の基準であって、おそらくかなりの甘えでした。もしかしたら努力の仕方を間違っていたのかもしれません。

そして先輩が引退していざ高校の部活の自分たちの代になった時には、だんだんサッカーが嫌いになっていしまうようになりました。なぜなら今まではなんとか周りより少しうまかったけれど、自分と同じもしくは自分よりうまい人に囲まれることで、ミスすることを恐れるようになったからです。自分の唯一の取り柄であり、大好きだったサッカーをいつの間にか嫌いになってしまっていました。

そして最後の引退試合の大会を迎えました。今までなんだかんだスタメンでも使ってもらっていたのに最後にはスタメンから外れ、ベンチに入るも出場することなく試合に敗れ引退することになりました。普段感情をあまり出さない自分ですが、初めて男泣きというものを経験しました。

レールに敷かれた道を外れるようになったきっかけ

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10年以上サッカーをし続け、それだけが取り柄だと思っていた自分にとってサッカーを引退するということはかなりのショックでした。そして「いつかはプロになりたい」なんて心のどこかで思いながら将来の仕事や夢から目をそらしてきた自分に大学受験というものが降りかかってきました。

周りは「とりあえず大学に行こう」というような風潮で、僕はそれが大嫌いでした。美容師とか看護師になりたいから専門学校に行くなんて子は、ぼくにとってすごいとしか思えず尊敬しました。「自分のやりたいことってなんだろう?」。そんなことをずっと考えましたが、サッカーだけしかやってこなかった自分にとって答えはでませんでした。

でも、ちょうど通い出していた塾の先生に「大学に入ってから夢は探したらいい。まずは第一志望の大学に合格しよう」と、いい意味でも乗せられ、関西の難関大学といわれるところを目指すことにしました。その時はサッカーで挫折した分みんなを見返したいとの一心で合格を目指し勉強し始めました。

偏差値は46程度。ただ大学に合格するという目標だったので理系から文系に変更し、自分が目指したR大学とい大学の過去問をひたすら解いて対策しました。また私立の大学だったのと、学部にこだわりがなかったのでその第一志望のR大学を5個受験しました。

結果は5個中1つだけなんとか合格!

サッカーで挫折した分、受験でなんとか自分の設定した目標を達成できたことは本当に嬉しかったのを覚えています。また偏差値の高い高校でもなかったので友達にもなかなか褒めてもらえました。。。。が、しかしここから悲劇が始まります。

4月1日はその大学のクラス分けテストでした。期待に胸を膨らませ自分が合格した「政策科学部」に行きクラス分けの名簿から自分の名前を探します。

...しかしなぜか自分の名前が見つからない。

「政策科」の学部なのか「政策科学」の学部なのか訳のわからない学部だったので当然名前なんて間違えるはずもなく、担当の人に探してもらうも当然見つからず。その後職員室に連れて行かれ少し待って欲しいと言われ、まあ何かの間違いだろうと落ち着いていました。

しかしどんどんお偉いさんが行くような会議室みたいな場所に連れていかれ、黒いスーツの2人が出てきた時に初めて「あ、これはやばいやつだ」と焦り始めました。そこで言われたのは「入学金と書類は届いています。ですがまだ授業料が払われていないため、現時点で入学は認められていません」とのこと。

はじめは驚きましたが、僕はそれについてかなり反論しました。というのも入学金、書類提出、授業料のそれぞれに期限がついており、ぼくもしっかりその度に両親に確認をとっていたらからです。ですが、スーツの2人組は「振り込まれてない」の1点張り。しょうがないのですぐにその場で両親に電話しました。

もちろん両親は電話してすぐに「もちろん振り込んだ」と最初は言っていましたが、「あ、ちょっとまって」と急にバタバタし「振り込んでなかった!」と。。。

結果的にわかったことですが、その授業料に関して振り込みに行った日が、家の用事と大学の授業料の2件の用事があったらしく、家の用事を済ませた後に全て終わったと勘違いして満足してしまったみたいでした。

そんなこんなで授業料を振り込んでないことがわかり、(これはやってしまったな。。。)と思いながら、恐る恐るスーツの2人に聞きました。「すいません、えーと入学はいつであれば認められますか??」そう聞くと彼らは「いえ。現時点以降入学は認められません」と答えました。

「まじか。。」

結果として僕は大学には合格したものの入学式に参加することはありませんでした。また運の悪いことにその日は4月1日。Twitterで「うあ、大学に入れんかった。。」とつぶやくと、その日はエイプリルフールで嘘と勘違いされかなり炎上する始末。この日ほどこう思った日はありません。

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(当時はバイキングが流行っていました。)

結果的に浪人することになり、また1年受験することになりました。元々「やりたいことを探す」ために大学合格を目指し、そして第一志望に合格もしたのにまた浪人するなんて訳のわからない話があるでしょうか?...どうやらあるみたいですね。

もしかしたらもう一度神様が自分を見つめ直すために与えてくれた試練であり、時間なのかなとも思いましたが、何を考えたって自分のやりたいことなんて見つからず。かなり悩み深い性格なので、初めて軽い鬱を経験したり、原因不明の蕁麻疹がでたり、ニキビがかなり増えたりしました。

それでも友達の支えもあり、また1年かけてなんとかランクが1上の同志社大学に入学することとなります。

やりたいこと探し

浪人した理由が理由なので、これだけ苦労して入った大学では絶対何かを掴んでやろうと必死でした。ですが大学の授業はバカな僕にとってまったく頭に入ってこず、全然楽しめませんでした。なので学外の活動に力を入れることにし、高校時の先輩と共に営業の学生団体を設立し、運営と営業活動を1年目は頑張りました。

なぜ営業をやっていたかといえば「文系の9割が営業職についている」という現状を元に、これを経験しておくことは将来絶対役立つと思っていたからです。やっていた内容はネット回線の電話営業で、自分が頑張った分だけ給料がもらえる歩合制のお仕事でした。

これを1年続けましたが、「自分のやりたいこと」は見つかりませんでした。そして大学の2年目はその営業の学生団体を解散することになったので、元々「留学」というものに興味があったので1ヶ月のフィリピン留学を経験。またその次は「プログラミング」に興味を持ち出し、プログラミングスクールに1ヶ月通って勉強をしました。

結果として営業、留学、プログラミング学習をしてきましたが、自分が求めていた「自分のやりたいこと」はやっぱり見つかりませんでした。

そんなこんなで4年以上やりたいことがわからなくて苦悩した話を記事にしたら、なぜかバズってしまい200以上のブックマークがつくという始めて経験をしました。炎上するかと思いきや、なぜか自分に同情する人や、アドバイスをくれる人がかなり多くびっくりしたのを覚えています。

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 ベトナムでのインターン

そんな中ぼくの中で少し変化がでたのは、ベトナムでのインターンシップでの経験です。このインターンは3人1組になって新規事業を企画し、他のチームと競って優勝を目指すというような2週間のプログラムです。

結果としては惨敗でした。しかし今回で少し違ったことは「やりたいこと探し」にフォーカスするのではなく、目の前のことを本気で頑張り自分自信の頭で考えるということでした。

なによりうれしかったのは自分たちが企画したものが完全にうまくいったわけではありませんでしたが、それでも喜んでくれる人がいたという事実にぼくはとても幸せを感じたのを覚えています。

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一冊の本との出会い

そこから僕はある一冊の本に出会いました。それは「デザインは世界を変える」という本です。この本を読むまではぼくにとって「デザイン」とは生まれ持った才能によるものだというのが僕の印象でしたが本書ではそれを否定しています。

デザインと聞くと、生まれ持った才能を存分に発揮して、クリエイティブに様々なものを生み出していくというイメージをお持ちの方も多いかも知れませんが、これは全くの誤解であると言えます。本来、デザインプロセスとは問題解決を前提としているため、地味な作業の連続であり、非常に理論的なプロセスで構成されています。

(省略)

 

 “What is the difference between art and design?”(デザインとアートの違いとは何か?)この質問は、米国で初級デザインクラスを受ける学生達が、教授達から頻繁に投げかけられる問いの1つです。何故この質問がよく使わるのかというと、デザインを習い始めた学生の多くは、デザインとアートを混同しているためです。デザインとアートの間には、決定的な違いあります。それこそ”Design solves a problem, art is expression”(デザインとは問題解決であり、アートとは自己表現である。)というものです。 

 

 つまりデザインの本質は問題解決であり、また本書ではデザインを使うことにより世界の貧困や格差を解決することができるBOPビジネスとして活用することができるといいます。

 

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僕は自分の仕事がもし世界の問題を解決することができ、それをただのボランティアではなくビジネスとして成り立たせることができるのならなんて素晴らしいのだろう。そして将来そんな仕事に関わりたいと思うようになりました。

そこでぼくはデザイナーという仕事に興味を持ちました。そしてデザイナーになる一番の近道はどこかのインターンに行って働きながらアウトプットしてくことだと思い、デザイナーを募集しているところを探しました。しかし、どこも大学生のインターンとしては雇ってもらえませんでした。なぜならデザイナーはある程度スキルがあってできる仕事で、未経験はほとんど雇ってくれないみたいでした。

そんな中出会ったのが現在進行形でインターンしている会社です。

現在インターンしている会社との出会い

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現在インターンとして働かせていただいている会社がやっていることとしては「日本にいる外国人」と「日本人」をマッチングさせ、カフェで語学レッスンをするというアプリを作っている会社です。また会社を作ったのも学生で、出来てから約1年になる起業したばかりのスタートアップといわれる会社です。

この会社が目指しているのは、「多文化共生社会の実現」です。日本にいる外国人にとってまだ日本という国はまだまだ十分に働いて暮らしていける環境が整っているとはいえません。まして日本という国は「外人」という言葉があるように、多文化社会と言うにはまだまだ程遠いほど多くの人にとって「日本人」か「そうでない外国人」という2つ認識でしかないように思えます。

しかし去年ぼくが行ったアメリカという国は日本とは全く違いました。初めはアメリカに行く時「アメリカ人ってどういう性格なんだろう」なんて思いながら、いざ着いてみるとそこには肌の色の違うたくさんの人種の人が分け隔てなく話をしていることに驚きました。「日本ってまだまだ鎖国の状態なんだ。」初めてその国にいって僕は思いました。

そこで今の会社では日本にいる外国人の方に、自分の母国語を使ってお金を稼ぐことができ、日本人にとってはその言語を学習することを通じて、異文化に触れ合う機会を増やすことを目指しています。ぼく自身もその理念に共感し現在東京にて日々業務に取り組んでいます。

自分のバックグラウンド

なぜその理念に共感したかといえば、それは自分のバックグラウンドとも関係があります。というのも自分の父の仕事は教会の牧師をしており、生まれた時からクリスチャンとして育ってきました。小学校のころから自分の家は教会だというと、「牛肉はたべれるの??」とか、「断食って本当にするの??」とかよく聞かれました。

でも特別苦労したことはありません。もちろん仏教もしくは無宗教の人が多い日本なのでそう思うのも普通だと思います。ですがやはり周りとなにか違うという違和感を感じて育ってきました。でもだからこそ当事者意識を持ち、もしかしたらこれが今のやるべきことなんじゃないかと思い、日々頑張っています。

誰かの役に立つということ

サッカーを引退してから将来やりたいことを探し続けてきた、やりたいことがわからない症候群の僕ですが、いまは何かが変わった気がします。それはおそらく「やりたいこと探し」から「誰かの役に立つこと」にフォーカスを変えたことです。

いままでプログラミングや電話営業などを頑張ってきましたが、これが自分のやりたいことだと思えることはなかったです。でも今はインターンでアプリを作るためにプログラミングでコードを書いたり、ビジネスサイドとして活動することがありますがいままでと違ってとても楽しいです。なぜなら自分のやっていることが誰かの助けとなっていると感じられるからです。自分たちのアプリを使ってくれる人たちを見た時、「やってよかったな」と思えることが何度もあります。

自分の父の仕事は、けして年収が高いと言えるものではありません。自分には年上の兄がいますが、大学を卒業し学校の教師になった途端に父の年収を超えたと聞きます。それだけあまり裕福とは言えない家庭なのに、父と母はそれでも誰かの役に立つことを献身的にしてきて、毎年ボランティアにも行くし、たまにうちにホームレスの人が来て食事を分けたりすることもあります。

それでも僕の両親は幸せであるといっています。正直小さい頃からぼくにはそれがあまり理解はできませんでしたが、今なら少しわかる気がします。誰かの役に立つことをして、それを喜んでくれる人がいる時なにか幸せを感じられるからです。

これはもしかしたら自分の自己満足なのかもしれません。でも今はそれでもいいんじゃないかと思います。もっと誰かの抱えている問題について考え、どうすればいいかを深く知ることが今の自分にとって必要なことな気がします。

自分の頭で考えること

そんな形でまだまだ当初のきっかけだったデザインはまだ十分に勉強できていませんが毎日たくさんのことを学んでいます。

やっと今の「やりたいこと」を見つけた気がする僕ですが、正直まだまだ毎日大変です。なぜなら今まで誰かの言われたことを忠実に守ってやってきた僕にとって、自分の頭で考えて自分で行動するということにとても苦労しているからです。今は東京でビジネスサイドとして活動していますが、うまくいかないこともたくさんです。

すぐ答えを求めてしまう僕にとって、正解のないことに取り組むのは本当に大変で、うまくいかないことがある時はすぐ落ち込んでしまいます。落ち込む前にどうしたらそれを解決すべきかを考えるべきなのに、すぐネガティブになってしまいます。本当に自分は弱く、甘い人間なんだなと思うばかりです。まして落ち込んでいたら周りにいる人は誰も嬉しくなんかないし、よってもこないでしょう。

でもそれが今まで人に言われたことばかりをしてきた自分にとって足りないことで、ある意味でつけでもあり、だからこそ今学ばなければならないことです。

そんなちっぽけな僕なのに周りには少なくとも応援してくれる人がいます。自分は何も与えることができないのに助けてくれる人がいます。それは今までたくさんのことを努力してきた友人の力であり、いままでたくさんの苦労をして積み上げてきた今の会社を作ってきた人たちの力でもあり、それは絶対に忘れてはいけないことです。

自分では何も与えることができないのに、相談に乗ってくれる人がいます。僕はそんな人たちに少なくとも何か将来お返しがしたいし、自分がやるべきことはなによりも目の前のことを本気で取り組むことです。

これまでを振り返って

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ここまで1つの物語のように語ってきましたが、だからこんな成功をしましたという話ではありません。むしろまだまだ失敗ばかりで、最近でもいろんな人に迷惑をかけてしまっています。

それでもここまでこんなぼくでも頑張ってこれたのは「可能性なんかそこら中に転がっている」という勝手に尊敬している人の言葉を信じ続けてきたからです。いつかこんな僕でもここまで変われたよと誰かを励ますことができるようになりたいな。

webya.opdsgn.com

こんな形で結局何を伝えたかったがまとまってないですね。ただ振り返ってみて思ったことはおそらく次にぼくに必要なことは成功体験を生むことでしょう。ここまでこんな自分だったけど、こんなことを達成した!といえるのが次の目標です。

そしてぼくはもっと「誰かに求められる」ような人になりたいです。いままで他人軸で生きてきた自分ですが、もっと誰かの助けになるように、自分のために頑張ろうと思います。なんか矛盾ですね。笑

「もし今日が人生最後の日なら」と毎日自分に向かって問い続けるのは難しいですが、もし今日が人生最後の日なら正直満足できないと思うので、そんな今を悔やむよりも、今はいままで助けてくれる人を思い浮かべて感謝することにします。

そしてそんな助けれくれた人に、お返しができるようにもっと成長したいなと思うばかりです。まっったく話がまとまっていませんが、ここまで読んでくれた人がいれば感謝です。

みみずのみずの