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何気ない日々から学びを受け取るブログ

はてブに書いてなかった2019年にやったこと

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気づいたら2020年になった。最近はnoteでいろいろ文章を書いていたけれど、はてなブログの更新は今確認したところ2019年は7更新だった。それでも何故かはてブには毎日200人前後の人が訪れてくれているみたいなので、さしぶりに更新したくなった。

昔からだけど、やはりデザイナーをやっていると何でも綺麗にこだわりたくなり、noteでもすごく時間をかけてしまう。だから人に話すように、サクッと雑にかける場所がほしいなー、それをはてなブログにしてしまえばいいいんじゃないかーとぼやっと考えて、今更新している。要するに暇なのである。

最近、ブログはなんかすごくためになるコンテンツで溢れている感じがする。WPだと、ブログで稼ぐまとめとか、旅ブログなど。noteの場合は、自分がフォローしている人の記事が流れてくることが多いし、twitterでも流れてくるのはデザイン系や、有名な人の記事が多く、お役立ち記事が多く。だから、自分もなんか良いものを書こうと力が入ってしまう。

一方、まだはてなブログを続けている人(自分が見る限り)は、もっと個人的な日記とか、ダークな話、雑な日常系が多いけれど、意外とそっちの方が面白かったりする。だから今回は自分の日記的な感じで更新。30分ぐらいでかけたらいいかな。(結局45分ぐらいかかった)

 ということで、2019年をサクッと振り返る。

 

就活(1~3月)

2019年は、デザイナー就活生としてめちゃくちゃ動いていた。2年休学して、インターンとして働きながら修行してそれっぽいポートフォリオも作った。就活の初期は何故か自信がなかった。なぜかというと、同世代のデザイナーがいなかったこと、また自分の会社内だけでしか自分のスキルがどんなものか見極められなかったことだったと思う。短期インターンなど簡単なワークショップがあり、ある程度自信がついたのだけど、磨いてこなかったグラフィックデザインの部分で美大生のポートフォリオを見て自信を失ってしまった。

toB系のサービスのデザイナーとして働いていたので、同じようなサービスの会社に行った時は評価はよかった感じはした。デザインではよく言われるけど、結局バランスなんだなと学んだ気がする。そして、負けそうになったら戦わないというスタンスはよく会社の社長も行っていたけれど、確かに一理あると思った。

就活中は@shokolog711さんに色々相談に乗ってもらった。ポートフォリオを作って、ダメなところを指摘してもらい、何度も改善してやっと完成させた。1社目の面接でなぜかしくじってしまい、なんか電話で励ましてもらっていた。

新卒の就活にポートフォリオというのは、中途のやつとはまた別な感じがする。企業によっても求めているものは違うが、学校によっては授業や学生生活をかけて作り込むところもから、とりあえずポートフォリオ(学生生活での成果物)を見せろというスタンスが強い感じがした。自分の場合は、インハウスデザイナーとして働いていたので、まとめるのが難しく、特に作品数が少なかった。ただ仕事ができる自信はあったけど、UIとコーディングができるというのは、実際に面接でプレゼンするとなるとなかなか難しいと感じた。

就職活動をして思ったことは、信頼できる、相談できる人の存在は偉大だということだった。特にデザイナー就活なんて周りでしている人は少ないし、なおかつ自分は2年休学して学校に通ったわけでもなく、仕事を通してデザインを学んできたので、新卒の就活でいうといい意味では特殊と思ってもらえるけれど、同じ就活生仲間を作れなかったのは少し辛かった。

あと、何社かインターンしたり、面接を受けた感じで思ったのは、正攻法で戦うのはかなりリスキーだということ。やはり、短期のインターンに行ってワークショップをやったり、社員の人と仲良くなってから面接に入ると、テキトーなポートフォリオでもOKだし、話も0からじゃないのである程度わかった前提で話してくれる。そうするとお互いにやはり話がしやすい。やはり、いかに戦わない努力をするかが大事だし、動きは早い方が良い。

 

復学とGWにインド(4、5月)

1、2、3月と短期インターンに行って、ポートフォリオを作り、4月に2年休学していた大学に復学した。大学には友達は皆無でまぁやはり寂しかったけれど、逆に知り合いが1人もいないから、食堂でご飯を食べていても苦ではないし、春先の暖かい時期にベンチで寝ているととても気持ちよかったから、それは幸せだった。

とりあえず受けてみた1社目に3時面接ぐらいで緊張しまくって落ちてしまい、あーやってもたーとなり、GWが近づいてきて、そういえば社会人になったらもう長期の休みとか取りづらいだろうなーと思い、インドに行くことにした。初めてのバックパックひとり旅で、チケットは1週間前にとったから、2倍の価格だったけど、結果的にその後世界半周することの背中を押してくれるきっかけになったので、よい投資だったと思う。結局、人生は体験にいかにお金を出すかなんだと学んだ出来事だった。

ガンジス川に行き、日本人バックパッカーと集まった砂漠で野宿して見た星空はとても綺麗だった。

内定とお金貯める(6〜9月)

インドに行ったおかげか、6月に内定をもらい就活を終えた。4月に受けた会社だったけど、内定まで2ヶ月かかったから少しだるかったけど、まぁありがたいことだった。7月はサボっていた学業の単位を取り返しに1人黙々勉強し、8月、9月はずっとお世話になっている会社でほぼフルタイムで再度働きお金を貯めた。あと、日立のデザイナー採用ワークショップに行ったけど、なかなか面白かった。

就職するまであと半年どーすっかなぁーとこれまた@shokolog711さんに相談して、最初は語学学校に行こうかと話していたけれど、「仕事で使わないなら忘れるよ。それより砂漠でラクダに乗っていたほうがよっぽど有意義」といわれ、そりゃそうだなと思い、お世話になっているインターン先でリモートで働くことのお許しをもらって、週三ぐらいで働いてお金を稼ぎながら、物価の安い国を回ることにした。いわゆるノマドワークだ。

世界半周した(10〜2月)

10、11、12、1月と合計4ヶ月かけて、一応世界半周した。世界一周とかって明確な定義もないから、世界半周もよくわからないけど、まぁ聞こえがいいからそういうことにしている。回った所は、東南アジアから中央アジアに入り、ヨーロッパ、最後はアフリカのモロッコだけ訪れた。国でいうと、🇻🇳🇰🇭🇹🇭🇱🇦🇮🇷🇦🇲🇬🇪🇵🇱🇩🇪🇲🇦こんな感じ(全部わかるかな?←)回った国でいうと10カ国かーという感じ。所感としてはかなり疲れたけど、期間としてはちょうどよかった。自分はまだデザイナー駆け出しだし、1年ふらふらするとまぁそれも良い気がするけど、社会復帰が難しい気がするし、同じペースで1年回るのはまじ勘弁って感じで、バックパック一個で回るのはなかなか疲れた。

でもそれ以上に感じること、1人内省する時間を得られたのは、今だからできたことだから本当によかった。細かい旅行記はnoteにまとめているので、気になる人はnoteのマガジンをのぞいてみてくださいー

note.com

 

2019年ありがとう

今は世界旅行から帰ってきて1週間ぐらい。インドに行ったのなんて、めちゃくちゃ前に感じるほどだったから、2019年はいろいろ挑戦して、体験して考えた1年だったから良い年だったなと思う。濃い一年を送るコツは、自分が体験したことのない未踏の地へ飛び込むことだと2019年は教えてくれました。皆さんの2019年はどうでしたか?それではまたまた〜。

いい人であるコツは、人の行動を見つめ自分の感情を俯瞰すること

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 最近、「ジョブ理論」を勉強し、「瞑想修行」をしてから、人の行動の理由のなぜを観察する癖がつきました。

ジョブ理論とは、「人は常に何かしらタスク(目的)を抱えており、それを解決するためにプロダクトを雇用する」ということで、瞑想は「ただひたすら自分を客観的に観察すること」です。(詳しくはnoteにて)

ジョブ理論は、プロダクトやサービスをデザインするときの視点を与えてくれますが、人とより良いコミュニケーションを築く際にも、応用することができます。

例えば、人が誰かに厳しい口調をしたり、諭そうとしたり、逆に喜んでくれたりと、人が誰かに行動をするときは、その人が何かのタスクを解決するために、感情や行動を雇用していると言い換えることができます。

そう捉えるようになってから、自分も過度に感情的になることなく、よりよい態度や行動を選択できるようになった気がします。

ただ、気をつけるべきは、そんな時に自分が相手を理解したと思い込まないことです。「あー、相手はおそらくこんなことを思っていて、こうなんだろうなー」と理解し、あたかも自分が相手を理解して、ある種の優越感を感じてしまうのはとても危険な状態。

大事なのは、自分の今の在り方であり、人を理解したと思わないこと(もちろん、理解できているとも思い込まない)

客観的に捉え、今この瞬間相手にとってどんなことをしてあげられるか?を考えれば、よりよい行動や発言をすることができると思うようになりました。

人の行動の原動力は、突き詰めると2種類しかない。愛を原動力とするものと、恐れを原動力とするものだ。

 

結局のところ、人の行動は究極的には「愛」と「恐れ」に分かれるのかもしれません。

例えば、自分の立場が危ぶまれるような出来事や、自分に対して何か攻撃的な出来事が起こった時、僕たちは恐れを感じて、自分の身を守るために批判的な態度や行動、発言をしてしまうかもしれない。

でも、そんな時自分の恐れに気づき、一歩引いて自分を見つめてみれば、その行動を変えることができるはず。

自分の感情をよくよく観察してみると、ほとんどの思いは恐れが原因となっていることに気づくだろう。そのとき、「ああ、私は恐れているんだろうな」と受け入れてしまえば、自然とその思いは消化されるのだが、多くの人は、たとえ気づいたとしてもそれを認めようとしない。

チームにおいても、人とのコミュニケーションにおいても、その時の目的というものは決して相手を否定することでも、攻撃することでもなく、お互いが幸せになることなのだから。

最近、「ジェダイの哲学 - フォースの導きで運命を全うせよ」という本を読み、スターウォーズが昔から好きだったのですが、スターウォーズから学べることが計り知れないと自分の中で話題です。引用文は本書から。

タイトルだけみると、ふざけてるのか、変な自己啓発本わからないですが、あの落合陽一も推薦しているので、スターウォーズファンにはきっとおすすめです。笑

ジェダイの哲学 - フォースの導きで運命を全うせよ

物語から受け取ったもの

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2019年になって、なぜかこのブログをちょくちょく更新するようになり、書くことで逆に昔のことを振り返ったりします。それだけ余裕があるということなのか。

最初は不純というか、目立ちたいとか稼ぎたいというような理由で始めたブログが、だんだん過去の振り返りを行うための雑記ブログになりつつあるのですが、ブログをやっててよかったと思うのは、やはり書くことは思考の発散によるセラピーみたいなもので、言葉にできることは武器になるのです。そう最近はよく思います。

note.mu

 
そんなことを思って、昔から好きだった人のブログを読み直していると、そのブログの一つが終わろうとしているのに気づきました。

少し残念な気持ちが芽生えた一方で、そういえば気持ちが暗くなった時には、その人のブログや、誰かのブログを読み漁っては勝手に勇気をもらったことを思い出しました。

僕は映画が好きで、夢に向かっていく主人公が困難に塞がりながらも、仲間と一緒に乗り越えていく、そんなシーンが大好きです。人は誰しもが何かと戦い、希望を抱いて突き進んでいく。人の数だけ、その人だけの物語がある。そして物語に人は動かされる。

だから最近はいろんな人の物語が気になるようになりました。相手の物語にまず共感すること、そして時には自分の物語を通して、誰かの背中を押してあげられるようになれたらいいなと思うようになったのでした。

サクッと書いたので、次回はこのブログの今後の方針を整理することにします。最後は、ゲームデザイナーの小島監督の言葉でおしまい。

おそらく「物語」 という形式は、世界中にある膨大かつ散財している情報を伝え、自分では体験し得ない広大な世界を知るための最も優れた手段の一つなのた。本に書かれたフィクションや演出されたノンフィクションは事実でも現実でもないが、だからこそそこに真実が存在する。僕はそういう真実を本の中からすくい取ることで、今日まで生き延びてこられたのかもしれない。

 

僕が愛したMEMEたち - 今必要なのは人にエネルギーを与える物語(小島秀夫)

 

就職活動で問い始める、自分とは何か?

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最近ちゃんと就職活動をし始め、自己分析というものに取り組んでいます。

就活生の多くの人がまず取り組むのが自己分析です。本当に自分がしたいことを掘り下げること、そしてなぜその企業を選んだかを説明できること、これが自己分析が大切な側面の一つだと思います。

僕も就職活動を始める前は、「なんだよ自己分析って...」と思っていましたが、これが驚くべきほど大切なことに気づきます。

就活での企業選びはあくまで手段です。自分が本当にやりたいこと、もっと言えば人生の目的を達成するために、企業を選ぶのが理想的な形です。それを考えるにはまず「自分とは何か」を問い続ける必要があります。

人生の目的というと壮大な話に聞こえます。よくあるのは「貧困を解決したい」「海外で働きたい」などですが、「家族を幸せにしたい」も立派な目的です。大事なのはその目的に至った「なぜ」を深掘ることです。

実際にやってみると、この自己分析という作業は決して簡単なことではないことに気づきます。人は普段無意識に行動し続け、その理由を考え、振り返ることは多くありません。

しかし、自分の興味、関心、何に感動したのか、どういう環境で育ったのか、なぜあの時あの決断をしたのか?などのようになぜなぜと深掘っていくと、自分が何を求めているのか、なぜそういう価値観になったのか、などのように自分という存在が浮き上がってくるようになります。

そして時には、人に認められたい、モテたい、よく見られたいなどしょうもない理由で自分の行動を正当化しようとしていることにも気づきます。(また、僕の場合は、ほとんどが認められたいという欲求にたどり着き最近びっくりしていますorz)

「自分とは何か?」これについて、「スタンフォード大学 マインドフルネス教室」の第3章「本当の自分」で、面白い箇所がありました。

著者のスティーブン氏はスタンフォード大学の授業の最初で、「あなたは誰ですか?」という質問をします。そして、これに対する質問に意見が出やすいよう、人気のコメディーの1シーンを見せます。

そのシーンは怒りの抑制を学ぼうとするセラピーグループの中で会話が行われるところ。ファシリテーターは新しくメンバーとなった男に一見簡単そうな、こんな質問を投げかけます。

「それじゃあデイブ、話してくれ。君は誰だね」

 

デイブは答えます。

「僕は大手ペット製品会社の課長代理で...」

 

ファシリテーターは話を遮ります。

「何をしているかを聞いてるんじゃない。君が何者か話してくれ」

 

デイブは言います。

「あぁ、では、僕は少々テニスをするのが好きで...」

 

ファシリテーターが再び彼を止めます。

「君の趣味じゃないんだよ、デイブ。私が知りたいのは、君が誰かってことさ」

 

窮地に立たされた様子のデイブ。

「わかりません。質問に答えようとしてるんだけど、どうやったらいいかわからないんです。よかったら良い答え方の例をもらえませんか」

と言うと、グループの他のメンバーを向いて尋ねます。

「君はなんと答えたんだい?」

 

ファシリテーターは嘲笑います。

「君はジョーに、自分が誰なのか教えてもらおうっていうのかい」

 

すると皆んなが笑います。デイブは目に見えて動揺します。

「いえ、僕はその...のんびりしたいいやつで、時には冷静さを失うこともあるかもしれないけれど」

 

だがファシリテーターはまたもや彼を遮ります。

「デイブ、君がしているのは君の性格の説明だ。私が知りたいのは、君が誰かということなんだよ」

 

ついにデイブは怒りを抑えきれなくなって、感情を爆発させる。

「あなたが何を言わせたいのかわからないんだよ!」

 

ここまでが本書で紹介されるコメディーのストーリーです。 これはあくまでコメディーの話ですが、もし実際に自分がこんな質問をされたなら、うまく答えられるでしょうか?場合によっては、自己否定された気分になるでしょう。

しかし、この話は「自分とは何か」という単純な質問の奥深さを示すとても良い例であると著者は主張します。

僕たちは、自分を説明するのに、所属や学校、会社、といった外的な識別要素に頼ります。時には活動や趣味、性格について説明することで自分を語るかもしれません。しかし、本当に自分が何者であるかを伝え切るには、これらは十分ではないかもしれません。

もちろん、そんなことを考えなくても、時は流れ、うまくやっていけるかもしれませんが、著者は以下のように訴えかけます。

自己の追求というテーマをより広い視野から考えてもらえるように、このような警告をすることもある。君らが何者であるか自分でわからないなら、誰かが君が何者かを決めてしまうかもしれない。

 

だから自分でわかっていなくてはいけない。私たちは他の誰も知り得ない何かを自分について知っているのだから、その誰かの考えは必ず間違っている。

 

もちろん、自分で気づかない部分が周りに見えているということもあるが、いつだって自分にだけ聞こえる、自分は何者であるかを告げる心の声があるはずだ。偽りのない、本当の自己を発見することこそが君たちの課題だ。

 

自己認識をますます高め、自分の強みや限界を踏まえた人生の目的を見つける旅を、やめてはいけないと伝えている。


少し哲学っぽくも聞こえますが、僕らは真剣に「自分とは何か?」という問いに向き合う必要があります。自分が今やろうとしていることは、本当にやりたいことだろうか?お金や地位、周りからどう見えるかという側面を気にして、しっかりと向き合うことから逃げていないだろうか?

もし、そこから逃げ続けるのなら、人生が終わろうとした時に「あれ?何をしたかったんだろう」と悟ることになってしまう。

就職活動というものにあまりいい印象を抱いてはなかったのですが、自分の自己実現を達成するために、「自分とは何か」を考えることは、実はとてもいい時期なのかもしれない。なんて思う就活解禁の3月を迎えた今日この頃でした。

 

 

 

点は繋ごうとしてはいけない

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ぼくはジョブズの評伝は読んだことはないのですが、彼が残した歴史的スピーチはよく見ます。ふとした時にyoutubeで彼の動画を見ると、その時々で響く言葉や解釈が違って、自分に語りかけてくれる気がします。

この有名なスピーチの中で、よく取り出されるのが「点を繋ぐこと(connectiong dots)」です。これは、人生のどんな出来事も後から振り返ってみると繋がっていたというジョブズの経験からくるメッセージですが、最近は、点というものは繋ごうとしてはいけないな、とよく思うようになりました。

デザインを勉強していると、行動経済学がよく引き合いに出され、バイアス(思い込み、偏見)にとらわれてはいけないという話をよく聞きます。

シリコンバレーで働くエンジニア(ブロガー)の上杉周作さんが最近翻訳された「Factfulness」は、ビルゲイツも絶賛する本で今とても話題になっていますが、本書も思い込みを乗り越え、データを基に世界を正しく見る習慣をつけようという内容です。(昔は、上杉さんのブログを読み漁っていていたのですが、まだ本書は読めていません。ごめんなさい)

話を戻すと、ジョブズがかけてくれるこのメッセージはとても若者に力を与えてくれるものですが、闇雲に点を繋ごうとすると、それは一種の思い込みになってしまう気がします。バイアスの種類でいうと「確証バイアス」に当たります。

確証バイアス

『自分が好きなもの・信じていること・慣れ親しんでいる価値観(世界観)』などが固定観念としての確証バイアスを生み出し、その結果、見たいものだけを見て聞きたいものだけを聞くという状況を作り出してしまう。

 自分のやってきたことを信じることはもちろん大事ですが、それを無理に正当化しようとして捉われてしまうと、自分を欺き続けることになってしまいます。

とはいっても、やはり人は理由を求めます。過去の経験が今に繋がっていると他人に、もしくは自分にい言い聞かせれば、もちろん説得力は高いし、できるならそういうストーリーを話したいものです。

そんなことを思っていてジョブズのスピーチを見ていると、彼は確かに点が繋がるように信じることは大事だけど、未来を見て繋ぐことはできないと言っていたことに驚きました。

未来を見て、点を結ぶことはできない。
過去を振り返って点を結ぶだけだ。
だから、いつかどうにかして点は結ばれると信じなければならない。

 

you can’t connect the dots looking forward;
you can only connect them looking backwards.
So you have to trust that the dots will somehow connect in your future.

大事なのはやはり、直感を信じることなのです。直感と思い込みを見分けることはどうしても難しい。しかし、自分を欺いている時、違うと思うときは何かきっと違和感を感じているはずです。僕らはその違和感に気付こうとする努力をする必要がある気がします。

そして何よりも大事なことですが、自分自身の心や直感に従う勇気を持ってください。心や直感は、みなさんが本当は何になりたいのかをすでに知っています。他のことはすべて二の次なのです。

これはつまり、何かを信じなくてはならないということです。自分の本能、運命、カルマ、なんでも構いません。点がやがて繋がると信じるなら、たとえ周りの人々が通る道から外れてしまうことになっても自分の心に従う自身が生まれ、これが大きな違いをもたらしてくれるのです。

ジョブズへ、あなたを愚か者だという人はこの世の中にたくさんいるし、あなたが実際にどんな人だったのかもしらない。でも、あなたのメッセージはいつも僕の心に響いてくる。きっと、いろんなことを経験し、少なくとも僕にはまだ見えてない、いろんなことがあなたには見えていたのですね。 

キングダムハーツが照らす、今の僕らに欠けたもの

2019年1月25日にキングダムハーツ3が発表されますね。発売まで1ヶ月を切りました。僕はこのゲームが好きで、プレステの1、2とプレステポータブルのバースバイスリープをプレイしました。

他の作品は、Youtubeで一通りストーリーをみましたが、見終わった後は?が3つぐらい出てきて、全然物語を理解できませんでした。笑

しかし、このゲームでは歴代のかっこいいFFのキャラクターや、誰もが知るディズニーのキャラクターが出てきて、思わずニヤッとしてしまうシーンもあったり、爽快な戦闘、そしてその物語に引き込まれます。

また、メインテーマソングの宇多田ヒカルさんの曲がめちゃくちゃかっこよくて、最近はいつもSpotifyで「誓い」をリピートしています。

www.youtube.com

キングダムハーツという物語が一貫して訴えかけるもの、その一つが「繋がる心」です。主人公のソラは、いろんな世界を旅する中で、迫り来る闇からみんなを守り、仲間との絆を深めていきます。その繋がる心がまたソラに力を与え、宿敵に立ち向かう勇気を与えてくれます。

あらゆる世界を旅して、仲間とお別れすることになりますが、ソラは恥ずかしいくらいにこう言います。「大丈夫、また会えるよ。だって俺たち友達だろ?」

絆、心、友達というキーワードに心揺さぶられます。今の社会は以前に比べ、自分が仲間と思える、身内意識を持てるコミュニティーが少なくなっているかもしれません。

ところが、街から身内がいなくなってしまった。

都道府県や市町村レベルはもちろん、町内や地区という意識も希薄になって久しい。

生活空間も文化も風習も共有しないオートロックマンションの住民やニュータウンの住民には、じゅうぶんに身内意識を持てるようなコミュニティが存在しない。

 

最近の日本人が失ったのは「寛容さ」ではなく「身内意識」ではないだろうか。 | Books&Apps

僕らはインターネットというコミュニティーにそれを求めているようにも見えます。SNSは人の繋がりを広げました。どこにいても、友達が何をしているか知ることができます。しかし、SNS疲れという言葉が生まれたように、他者との比較によって不幸になることも増えました。

人びとは自分の絶対的な立場よりも、世間での相対的な立場を気にする場合が多いということだ。

人間とはうらやむ存在である。他人が持っているものを欲しがり、他人が欲しがるものを欲しがる。

一九五八年、経済学者のジョン・ケネス・ガルブレイスは、多くの消費需要は本質的な必要性からではなく社会の圧力から生じると論じた。

人は、自分がいくら稼いでいるかとか、どれくらい消費しているかではなく、知り合いとくらべていくら稼ぎ、どれくらい消費しているかによって、自分の成功の度合いを判断するのである。

つながり 社会的ネットワークの驚くべき力

ある知り合いの人は、 たくさんのフォロワーを抱え、有名な人と仲良くしている。SNSを見ていると、まるで自分の世界のように彼らのやりとりが情報として入ってくる。そんな光景に僕も疲れることがあります。

しかし、人間が保てる関係というのには限りがあります。人類学者ロビン・ダンバーは、人間が安定した社会関係を維持できる人数の認知的上限は150人ということを明らかにしました。これはダンバー数と呼ばれています。

この説に対して、Facebookでこれが本当か実験した人がいるのも面白いです。

wired.jp

これを考えてみると、いかにSNSでフォロワーを増やしたり、有名な人と仲良くなるために頑張ろうとする、それに憧れることが虚しいことに気づきます。

もちろん友達を増やすのは大切です。しかし、それを追い求めるが上に、周りの人を大切にできなければ本末転倒なのです。僕たちが人にかけられる時間には限りがあるのですから。

キングダムハーツ3のFinal Trailerで、主人公のソラに王様であり、友達のミッキーがこう言います。「1人で抱え込まなくていいんだ、ソラ」

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【KINGDOM HEARTS III】Final Trailerより

こんな心強い友達がいれば、なんて素晴らしいんだ。。。そう周りに求める自分に気づき、自分が友達にそう言ってあげられたらいいな、と思うのです。

結局何が言いたいかといと、キングダムハーツは最高ということです。(ただのミーハーです)

www.youtube.com

blog.tinect.jp

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2019年の初雪から学んだこと

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2019年、京都に新年初めての雪が降った。雨に近い雪で、落ちる速度は早い。でも、雪の落ちる速さと同じくらいに、視線を下に下ろすと一つ一つの雪がゆっくり宙を舞いながら落ちていくのが分かった。

バイト先に向かう電車を待っている間、視線を下ろしたり、じっと見つめたりして雪の速度が変わるのを楽しんでいた。

人生の一つ一つの出来事もこれと同じだなとふと思った。日々起こる出来事に注意を向けなければあっという間に過ぎていく。しかし注意を凝らしてみれば、一つ一つがかけがえのない経験なのかもしれない。

大人になるにつれ、人はどうでもいいことをしなくなる。いかに効率をあげるか?何が価値があるかことか?どうすればライバルより早く上達できるか?

そんなものに目を凝らしていたら、視野は狭くなるばかり。そして、何気ないことから学べることも素通りしてしまう。子供は遊びを通して、無邪気にいろんなものを学んでいく。そこに周りを気にする目はない。

2年前、デザイナーを志してよかったなと思う。デザインを通して、世界の解像度が上がっていく感覚が今は好きで、その学びは今後も尽きることはないだろう。

そして、大人になって、「社会」というものに入ると、一つ、また一つと、感性の受動態が閉じられて、やがて、何も学ばなくなってしまう。言い訳や理屈ばかり長けてきて、口から出るのは、こんな質問ばかり。

 

「いくらするの?」

「何の役に立つの?」

「どんなメリットがあるの?」

 

(子供の時代が終わる時 - 「ムナーリの言葉」より)