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何気ない日々から学びを受け取るブログ

キングダムハーツが照らす、今の僕らに欠けたもの

2019年1月25日にキングダムハーツ3が発表されますね。発売まで1ヶ月を切りました。僕はこのゲームが好きで、プレステの1、2とプレステポータブルのバースバイスリープをプレイしました。

他の作品は、Youtubeで一通りストーリーをみましたが、見終わった後は?が3つぐらい出てきて、全然物語を理解できませんでした。笑

しかし、このゲームでは歴代のかっこいいFFのキャラクターや、誰もが知るディズニーのキャラクターが出てきて、思わずニヤッとしてしまうシーンもあったり、爽快な戦闘、そしてその物語に引き込まれます。

また、メインテーマソングの宇多田ヒカルさんの曲がめちゃくちゃかっこよくて、最近はいつもSpotifyで「誓い」をリピートしています。

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キングダムハーツという物語が一貫して訴えかけるもの、その一つが「繋がる心」です。主人公のソラは、いろんな世界を旅する中で、迫り来る闇からみんなを守り、仲間との絆を深めていきます。その繋がる心がまたソラに力を与え、宿敵に立ち向かう勇気を与えてくれます。

あらゆる世界を旅して、仲間とお別れすることになりますが、ソラは恥ずかしいくらいにこう言います。「大丈夫、また会えるよ。だって俺たち友達だろ?」

絆、心、友達というキーワードに心揺さぶられます。今の社会は以前に比べ、自分が仲間と思える、身内意識を持てるコミュニティーが少なくなっているかもしれません。

ところが、街から身内がいなくなってしまった。

都道府県や市町村レベルはもちろん、町内や地区という意識も希薄になって久しい。

生活空間も文化も風習も共有しないオートロックマンションの住民やニュータウンの住民には、じゅうぶんに身内意識を持てるようなコミュニティが存在しない。

 

最近の日本人が失ったのは「寛容さ」ではなく「身内意識」ではないだろうか。 | Books&Apps

僕らはインターネットというコミュニティーにそれを求めているようにも見えます。SNSは人の繋がりを広げました。どこにいても、友達が何をしているか知ることができます。しかし、SNS疲れという言葉が生まれたように、他者との比較によって不幸になることも増えました。

人びとは自分の絶対的な立場よりも、世間での相対的な立場を気にする場合が多いということだ。

人間とはうらやむ存在である。他人が持っているものを欲しがり、他人が欲しがるものを欲しがる。

一九五八年、経済学者のジョン・ケネス・ガルブレイスは、多くの消費需要は本質的な必要性からではなく社会の圧力から生じると論じた。

人は、自分がいくら稼いでいるかとか、どれくらい消費しているかではなく、知り合いとくらべていくら稼ぎ、どれくらい消費しているかによって、自分の成功の度合いを判断するのである。

つながり 社会的ネットワークの驚くべき力

ある知り合いの人は、 たくさんのフォロワーを抱え、有名な人と仲良くしている。SNSを見ていると、まるで自分の世界のように彼らのやりとりが情報として入ってくる。そんな光景に僕も疲れることがあります。

しかし、人間が保てる関係というのには限りがあります。人類学者ロビン・ダンバーは、人間が安定した社会関係を維持できる人数の認知的上限は150人ということを明らかにしました。これはダンバー数と呼ばれています。

この説に対して、Facebookでこれが本当か実験した人がいるのも面白いです。

wired.jp

これを考えてみると、いかにSNSでフォロワーを増やしたり、有名な人と仲良くなるために頑張ろうとする、それに憧れることが虚しいことに気づきます。

もちろん友達を増やすのは大切です。しかし、それを追い求めるが上に、周りの人を大切にできなければ本末転倒なのです。僕たちが人にかけられる時間には限りがあるのですから。

キングダムハーツ3のFinal Trailerで、主人公のソラに王様であり、友達のミッキーがこう言います。「1人で抱え込まなくていいんだ、ソラ」

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【KINGDOM HEARTS III】Final Trailerより

こんな心強い友達がいれば、なんて素晴らしいんだ。。。そう周りに求める自分に気づき、自分が友達にそう言ってあげられたらいいな、と思うのです。

結局何が言いたいかといと、キングダムハーツは最高ということです。(ただのミーハーです)

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2019年の初雪から学んだこと

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2019年、京都に新年初めての雪が降った。雨に近い雪で、落ちる速度は早い。でも、雪の落ちる速さと同じくらいに、視線を下に下ろすと一つ一つの雪がゆっくり宙を舞いながら落ちていくのが分かった。

バイト先に向かう電車を待っている間、視線を下ろしたり、じっと見つめたりして雪の速度が変わるのを楽しんでいた。

人生の一つ一つの出来事もこれと同じだなとふと思った。日々起こる出来事に注意を向けなければあっという間に過ぎていく。しかし注意を凝らしてみれば、一つ一つがかけがえのない経験なのかもしれない。

大人になるにつれ、人はどうでもいいことをしなくなる。いかに効率をあげるか?何が価値があるかことか?どうすればライバルより早く上達できるか?

そんなものに目を凝らしていたら、視野は狭くなるばかり。そして、何気ないことから学べることも素通りしてしまう。子供は遊びを通して、無邪気にいろんなものを学んでいく。そこに周りを気にする目はない。

2年前、デザイナーを志してよかったなと思う。デザインを通して、世界の解像度が上がっていく感覚が今は好きで、その学びは今後も尽きることはないだろう。

そして、大人になって、「社会」というものに入ると、一つ、また一つと、完成の受動態が閉じられて、やがて、何も学ばなくなってしまう。言い訳や理屈ばかり長けてきて、口から出るのは、こんな質問ばかり。

 

「いくらするの?」

「何の役に立つの?」

「どんなメリットがあるの?」

 

(子供の時代が終わる時 - 「ムナーリの言葉」より)

イフじゃなく、もう一つのララランド

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https://eiga.com/movie/82024/gallery/

2018年の年末。うちの家では、年末はガキ使でも紅白でもなく、映画を家族で見るようになったのですが、今年は父と映画「ララランド」を見ました。今更感がすごいですが、ちょうどFire TV Stickを買って、テレビでもAmazon Primeが見れるようになり、見放題の中にララランドがあったので、見ることに。

「恋人と見たらダメな映画」「ラストがあんまりだった」など賛否両論の意見があったので、なかなか見ように見れなかったのですが、そんなハードルが低い中見たこの映画、個人的にはとても面白かったです。

映画を見た後、3つのブログを読んでララランドの面白さを自分なりに理解したので、簡単にまとめてみます。年末に瞑想体験ブログをnoteに書いたら1万2千字というやばい長さになったので、今回はサクッと書くように頑張りました(3000字で約1時間でした)

Another Day Of Sunから始まる、現実とは離れたララランドの世界

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https://theriver.jp/la-la-land-opening/

ララランドの冒頭は、役者たちが高速道路の上で歌い踊るミュージカルから始まります。曲名は「Another Day of Sun」

タイトルの「La La Land」には、以下の3つの意味があるようです。

  • カリフォルニア州ロサンゼルス
  • 現実離れした世界、おとぎの国
  • 現実から遊離した精神状態

「この英語の意味なに?」より

この映画はカリフォルニア州ロサンゼルスを舞台とした夢の国で男女が恋に落ち、夢を追いかけ、実現していく物語です。冒頭の渋滞した高速道路から降りる共に、観客も夢の国へと降りていきます。

見慣れたはずの、色あせた現実のLAのハイウェイでの、圧巻としか言いようのないミュージカルシーンで、映画は始まる。巨大なスクリーンは、多幸感に満ちた音楽(しかしどこか陰を感じさせる歌詞)と、様々な色彩の奔流に満たされて、一瞬にして現実を忘れ、夢の世界に連れ去られる。すでに私はこの映画の魔法にかかっていた。(中略)


だからこの映画の舞台は、現代の現実のLAではなく、古き良きLAでもなく、もうひとつのLA――映画の夢とアメリカの夢が生きている「夢の国」なのだ。私たちは、動き出した車とともに、現実のLAから、夢のLA LA LANDに降りていく。
小島監督が見たララランド

面白かったのは、映画のラストと冒頭が繋がるシーン。映画のラストは、夢を実現したミアが、高速道路から降りていき、セブのジャズバーへ立ち寄ります。冒頭と同じく、渋滞の高速道路から降りていくシーンですが、ラストのシーンは冒頭のきらめく太陽のLAではなく、もう一つの夜のLA。

これが現実を描いたLAなのか、それとも別の物語なのかはわかりませんが、最初とラストは明らかに別のLAであることがわかります。そして、最後はミアとセブが出会い、もう1つの並行世界が展開されていきます。

イフじゃなく、もう一つのララランド

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https://eiga.com/movie/82024/gallery/7/

最近、過去に戻って未来を変えるタイムリープ系の映画をよく見るようになりました。「もし〜していたらどうなっていたのか」のイフの物語。しかし、ララランドのラストシーンは、セブが「もし〜していたら」というイフの世界というよりも、2人がこうなっていたらというもう一つの平行世界のように見えます。

つまり、Another Day of Sunの世界。

この最後のシーン見ている時、ぼくは「え、どっちが現実?ラストはどっち?」とドキドキしていながら見ていました。独特な世界観を持つ不思議な映画が終わると、なんとも言えない余白のような感覚が残り、まるで不思議の国から目が冷めたかのように感じがしました。これが今までにない、この映画の印象に残る表現だったのかもしれません。

しかしそれは「あの時別の道を選んでいたら」というifというよりは、「二人が結ばれる運命だったら?」というifだった・・・と私は解釈した。
なぜなら最初に出会った日から巻き戻りが始まったけど、実際その場面は「キスしたかったけどしなかった」というのがシチュエーションではではなかったから。
なのでAではなくBを選んでいたら?というifではなく、はじめからBの運命だったら?というifだった。出会った時にキスをするような二人であったら・・・というような。

幻想シーンは起きなかった過去から始まった。そこから生まれるのは「選ばなかった未来」ではなく「起きなかった未来」だった。「もしも」とは少し違う。
LA LA LAND ラ・ラ・ランド〜ラストは選ばなかった未来か、起きなかった未来か?

コンテキストの欠如は、観客のストーリーで完結する

このララランドという映画は、他の映画とは違う独特の世界観を持ち、かつ様々なコンテキスト(文脈)が曖昧です。昔っぽいのにスマホがある時代背景、2人を取り巻く人間関係、時間が経った間の出来事など、ディティールはあまり描かれていません。

例えば、セブをバンドに誘った友人は、2人の会話からセブはあの友人のことを好いていないことがわかりますが、特にその友人が悪役で悪い部分も描かませんでした。

そう。すべての判断は観る側に委ねられているのだ。その意味で『ラ・ラ・ランド』は徹底的に、まさに徹頭徹尾、「インクルーシヴ」で「オープン」な作品なのだ。

であるがゆえに、『ラ・ラ・ランド』においては「ストーリーがない」とか「人物が描けていない」といった批判もまたまったく的外れなものとなる。この映画をめぐる様々な感想を観てみると、そのことがよくわかる。(中略)


 コンテクストを欠いたまま宙吊りにされた物語にコンテクストを与えるのは、必然的に観客自身であり、観客は、その不在のコンテクストを自分の体験で埋めることで、自分にふさわしい「結論」と「感動」と「自己肯定」を得ることになるのだ。この場面は、まさに『ラ・ラ・ランド』が体現する「オープンネス」の真骨頂と言ってもいいだろう。

チャゼル監督は、あえて(としか考えられない)、物語に形を与えず、それを明確に定義しないことで、「人生ってこういうものだよね」と押し付けられることをきらい、自分なりの「等身大の人生」を生きることを望むわれわれの現代的な感覚をあと押ししてくれる。本作に共感する人がこれ以上もなく本作に感激するのは、だからなのだ。わたしたちは、スクリーンのなかの恋人たちに共感しているのではなく、われわれ自身に共感しているのだ。

『ラ・ラ・ランド』を、擁護してみる

僕はミーハー並に映画が好きなのですが、物語の主人公が夢を追いかける中、困難が立ちふさがり、それでも諦めずに希望を持って夢に挑戦していくストーリーに、特に心惹かれます。そんな映画を見た後は、映画の彼らも頑張っていたように、自分も明日から頑張ってみようと思うのです。

今回のララランドも、いろんなシーンに共感しましたが、それは自分の人生の経験というコンテキストを踏まえた一つのララランドでした。それは観客が持つストーリーの数だけ、映画「ララランド」はいろんな太陽を見せるのでしょう。

映画を見終わった後、父は「恋愛ってこんなもんだよ」って言っていました。きっと、父から見たララランドは僕とは違ったもう一つの物語だったのだと思います。

参考記事

LA LA LAND ラ・ラ・ランド〜ラストは選ばなかった未来か、起きなかった未来か?※ネタバレあり | Rucca*Lusikka

『ラ・ラ・ランド』を、擁護してみる|WIRED.jp

小島秀夫が観た『ラ・ラ・ランド』 | 文春オンライン

 

ご報告:大学を休学しました(2年目)

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(こちらはFacebookで投稿したポストの転載です)

ご報告になりますが、大学を休学しました(2年目)。たまに友達に会うと、「結局何年生なん?」と言われることが多いのですが、1年浪人して、大学3年を終えた状態で休学して、今年もう1年延長しました。あと、先日24歳の誕生日を迎えました。

ちょうど2年前、京都のハッカソンと言われるイベントで、大学生なのに24歳で頭がいいエンジニアの子と出会って「変な人もいるんだなー」なんて思いましたが、まさか自分も同じような状況になるとは思いませんでした。笑(技術力は到底比べられませんが)

今は京都ITスタートアップで、UI/UXデザイナーのインターンとして働いています。去年の春頃、「問題解決をするデザイナー」という職種に興味を持ちました。そこで、東京の有名なデザイン会社で働かせてくれー!ってお願いしましたが門前払いされ、何を血迷ったのか大学を休学してベトナムでデザイナー見習いとして勉強させてもらってました。

最初はいろんなことが楽しかったのですが、いきなり実践の場でわからないことばかりでミスが続いて、段々仕事も任せてもらえず苦しい思いもしました。その時は大変でしたが、今振り返って見るといい経験をしたなーと思うし、逆に今いる環境はいろんな仕事を任せてくれて、いっぱい挑戦させてくれるし、社会に出るのがなかなか遅くなってしまってはいますが、いいんじゃないかなーと思えています。あと、犬と猫がいる会社なので毎日幸せです。

ベトナムにいた時の日本人のメンターの方に言われたことで記憶に残ってることがあります。「君がデザイナーになりたいのなら、なればいい。デザイナーになることに迷っているよりも、なってから悩むことの方がたくさんある」。

実際いまデザイナーとして働いてますが、日々この言葉の意味を痛感するばかりです。デザインをするにあたっては、グラフィックやWebデザイン、日本語の文章力、問題を見極める力、英語、コーディング、コミュニケーション能力、それらを含めユーザーの体験を考えるUXデザインなど本当に毎日学ばなくてはいけないことでいっぱいです。でも、今まで何も考えず行動してきた自分にとってそれはとても楽しいことです。

僕の場合はデザインが好きだからデザイナーになったというよりかは、デザインを学ぶことで世界のいろんなことに興味を持つことができて、それを理解したり、感動できる瞬間が楽しいからデザイナーとして活動してるような形です。

デザインといえば、見た目の綺麗なものを作るイメージが強いと思いますが、僕にとってのデザインの定義は「規制がある中で、使い手の目的を達成(解決)すること」です。それにはやっぱり学ぶべきことがたくさんですが、今は地道に勉強して頑張ろうと思っています。人生は思ったより短いですが、一直線じゃないと思うので、一つ一つを楽しんでいきたいです。

24歳になっての目標は「いっぱい作る」。がんばってるね、と言われるのではなくて、形あるものとして成果やアウトプットを出し続ける。デザインでも、文章でも、ランニングの距離でもいいし、いっぱい自分で成し遂げたことを作り続けて楽しんで行きたいです。

長くなりましたが、今年もよろしくお願いしますm(_ _)m(卒業も、起業も、退職もしてないのですが、何かあるとうれしいなーと思いつつ例のあれ貼っておきます)
http://amzn.asia/dsWbsNg

プロフィールを更新しましたm(_ _)m

こんにちは。みみずのみずのです。基本的に過去の記事を見返すのは気持ち悪すぎてしないのですが、プロフィールの記事が毎度ランキングの4位ぐらいに入っていて少し気になっていました。ブログを始めたばかりの意識だけが高かった時代に書いた内容だったので、「い、いつか変えとかないと。。。」と思いつつも放置してしまっていました。

が、さしぶりに軽くスクロールするぐらい読んでみましたが、流石に気持ち悪すぎたので今回プロフィールを更新することにしますm(_ _)m

簡単な自己紹介

現在は大学を休学してUI/UXデザイナーとして活動しています。特にイラストがうまいとか、センスがあったり、おしゃれ好きというわけではなくて、デザインの問題解決の視点 / 考え方に惹かれ、就職活動が始まる前にデザイン修行を始めました。

高校までは10年以上ずっとサッカーをしていて、1年浪人して大学に入りました。大学1年目は高校の時の先輩と営業の学生団体を作ってテレマーケティングしてました。大学2年目はフィリピン留学行ったり、プログラミングスクールに行ったり。3年目は海外のビジネスインターンしたり、京都のITスタートアップで一応エンジニアとして長期インターンしていました。

大学4年目を迎える時点で1年留学したかったのですが、奨学金が取れず「今もし就職活動を始めてしまったら今後後悔する..!」と思い、挑戦したかったデザインの領域に踏み込むため、休学してなぜかベトナムのITスタートアップでデザイナーのインターンとしてデザイン修行を始めました。現在は京都に戻り、休学は2年目に突入しています。

人気な記事

このブログでは「みみずの人気記事」と称し、記事下におすすすめの記事を固定で表示していますが、皮肉にも一番読まれているのは他の記事です。

なぜその記事が人気かというと「やりたいこと わからない」「やりたいこと みつからない」で検索すると、上位5番目には表示されるからです。

f:id:mimizunomizuno:20180721174531p:plain(厚切りジェイソンには一歩及ばず...)

こちらもできるなら削除したい内容なのですが、この記事のおかげで毎日300人ほどの閲覧数があり、Google様からコーラ1本分ほどのおこずかいが毎日もらえるので削除していませんでした。

あとは、逆に自分が成長できていることをブログに書くことで、同じ悩みを持った人に何か勇気とかヒントとか影響を与えられたらなーと思い残しています。逆に恥ずかしいと思えるのは昔よりも少しはちょっと成長しているかなとも思えるので、「まぁいっか!」と思ったりもしています。

その時は「やりたいことを探すためにいろんなことをとりあえず頑張っていた」みたいな感じでしたが、今は「やりたいことが見つかってそれに向かって頑張れている」ので幸せなのかもしれません。

おすすめの記事

一応さっきの記事が人気な記事ですが、おすすめの記事を以下に紹介しておきます。

1. 好きな本をまとめました。タイトルは少し誇張していますが、選んだ本にハズレはないと思います。

mimizunoblog.hatenablog.com

 2. 幸せについてよく考えるので、幸せに関するTEDトークをまとめました。こちらも世界の著名な方達の研究した内容なので損はないです。

mimizunoblog.hatenablog.com

こちらはTEDトークじゃないですが、幸せに関して少し自分語りしています。自分語りなので少し損するかもしれません。でも頑張って書きました。

mimizunoblog.hatenablog.com

3. 2週間の海外ビジネスインターンに行った時の体験をまとめました。すごくよかったプログラムなので、大学生には是非おすすめです。

mimizunoblog.hatenablog.com

4. Web界隈では知る人ぞ知る塩谷さんにあった時の記事です。この時からぼくはブロガーです。はてなブックマークは沢山つきませんでしたが、塩谷さんの影響力のすごさを知りました。

mimizunoblog.hatenablog.com

 

他リンクとか

1. みみずのみずののデザインブログ

デザインブログはじめました。こちらはもっと気軽に更新したいと思います。

2. Portfolio(制作中)

今までの活動をポートフォリオとしてまとめています。まだ制作段階ですが、もし気になる方がいらっしゃれば載せておきますm(_ _)m

3. UXに関する記事 | UX TIMES

日本にいながら世界のUXが学べるカンファレンス「UX DAYS TOKYO」のスタッフとして活動しています。当メディアのUX TIMESでブログ記事を書かせていただいています。

4. ウィッシュリスト

最後に何かいいことあればいいなーと、Amazonのウィッシュリストを恐縮ながら載せさせていただきます。ほぼ本なので届いた際は全力でレビューさせていただきます。

人生の幸福度最大化に必要なのは、自分なりの物差しと素直さ

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Prologue

1. 振り返り

大学を休学してもう少しで1年を迎えようとしている。去年の1月ごろ、どうしても留学に行きたかったから、奨学金の選考で頭がいっぱいだった。1次選考も通過し、2次選考の面接も手応えしかなかったから浮かれていたら、結果は落選だった。

それでもこのまま就活するのは後悔すると思ったから、大学を休学することにした。尊敬する誰かの真似をするように「うるさい、おれは世界で活躍するデザイナーになるんだ!」と言わんばかりの勢いで、東京に行って有名なデザイン会社にインターンさせてくれるようにお願いした。

自分の熱意を伝えたけれど、その人事の人は「その熱意を証明するだけの、物をみせてほしい」と、ただそう言った。

結局、自分には成し遂げたことも、それを証明する物も何もなかったから、仕方なくたまたま合格していたベトナムのIT企業でインターンすることにした。別にベトナムにいくべき理由もなかったけれど、決意を固めて海外に飛び出してみることにした。

しかし、そこでもなかなか折られ、いろいろあって実家の京都に帰ることになり、悲しい出来事があったり、まだまだ短い人生だけど本当に大変な1年だったと振り返って思う。

そんな中、今までの困難や壁にぶつかった時、昔メンターに言われた言葉が自分の心にふと湧き上がってくる。

自分のことをバカだとか思ってはいけない。でも目の前の現実は受け止めなくてはいけないよ。つらいかもしれないけど、一歩ずつ乗り越えていくしかないんだ。

 

2. 嘘をつかない

今年の夏のベトナムにいた時、こんな人になりたいと思うような日本人の経営者の方に出会った。今までの人生で、こんな人になりたいと尊敬するような人が何人かいる。

その人のしゃべる言葉には曇りのようなものが一切なく、人を動かす力みたいなものを感じた。そしてなにより、いろんな人から愛され信頼されていた。

どうしてそんなに人を動かせるような喋り方ができるんですか?と聞いてみたら「そんなの知らねーよw」 と笑われた。しかし、その隣にいた社員の方がこう言った。「〜さんはどんな時でも決して嘘をつかない。だからどんな人にも信頼されるんだよ」

人生における幸せとは

つまらないことで悩んでばっかりだけど、人生における幸せってなんだろうと心のどこかで日々思いながら今年の1年は過ごしていた気がする。過去のブログは気持ち悪すぎて見返さないけど、こんな記事も書いていた。

ベトナムに行ってる際、どうしたら幸せな人生を歩むことができるんだろう... と考える時期があった。そんな時、インテリアデザイナーでブログを読んでから尊敬しているYoko Kloeden(@yokokloeden)さんが紹介していた「イノベーション・オブ・ライフ」を読んだ。(原題は「How will you measure your life?」)

これは、「イノベーションのジレンマ」で有名な(まだ読んでない)ハーバード・ビジネス・スクールのクレイトン・クリステンセン教授が、経営戦略を人生訓に落としこみだ本。

クリステンセン教授は、優秀な学生が大学を卒業するまでは立派な人生を歩んでいたのに、社会に出てから人生を踏み出す人があまりにも多いという事実を目の当たりにしたことから、本書を書くに至ったという。

本書で主張するのは、原題の言葉通り「人生を評価する自分なりのものさしを持つ」ということ。具体的には以下の3つの質問に答えるに当たって、あらゆる側面から本書では考えいく内容。

  1. どうすれば幸せで成功するキャリアを歩めるだろう?
  2. どうすれば伴侶や家族、親しい友人たちとの関係を、ゆるぎない幸せのよりどころにできるだろう?
  3. どうすれば誠実な人生を送り、罪人にならずにいられるだろう?

自分なりのものさしとは、美意識であり良心

これと関連して読んだのが、山口周さんの「世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか? 」という本。題名がいかにもという感じだけど、単純な自己啓発ではなかった。大枠は以下の3つ。

  1. 論理的・理性的な情報処理スキルの限界が露呈しつつある
  2. 世界中の市場が「自己実現的消費」へと向かいつつある
  3. システムの変化にルールの制定が追いつかない状況が発生している

具体的な内容は、多くの人が論理的なスキルを身につけた結果、世界の市場で「正解のコモディティ化」が発生している。論理的に思考するということはつまり、他人と同じ正解を出すことであるから、必然的に「差別化の消失」を招くことになる。

昨今では、「VUCA」という言葉がよく言われるようにたったみたいで、「Volality = 不安定」「Uncertainty = 不確実」「Complexity = 曖昧」という今の世界の状況を表す単語。

このような時代において、論理的で理性的であろうとすれば、うまくいかない世界になっていると述べている。そこで必要とされるのが、内在的に「真・善・美」を判断するための「美意識」だということ。

美意識とはつまり、道徳や世界観といった個人の内面的な規範。モラルのようなもの。個人的には自分にゆかりある新島襄が信念を持って貫いた「良心 ( conscience ) 」の精神という言葉がしっくりくる。

なぜ、美意識?となるけれど、わかりやすいのが昨年あったキュレーションメディアの問題。医療系サイト「WELQ(ウェルク)」は、人の生命に関わるものであり、信頼性には十分な配慮が求められべきです。

しかし、運営会社は「情報の真偽については、その責を負わない」と逃げて置きながら、検索エンジンで自社サイトのみが表示されるように操作することで、ユーザーが「信頼できる情報源」へアクセスできることを妨害していた点が1番の問題でした。

ここから考えるべきは、グレーゾーンで成功を目指すビジネスモデルを考案した結果、最初は白に近い領域だったのが、利益を追求するうちに限りなく黒に近い領域にシフトしていったこと。 筆者の山口さんはこの部分にこそ、美意識に代表されるような内部的な規範が、全く機能していないことが問題だと指摘しています。

クリステンセン教授も述べているように、多くのエリートがWELQの問題のように、犯罪に手を染めるケースが増えているようです。その原因となっているのが「達成動機」。達成動機というものは「与えられた目標を達成したい」という欲求のこと。

より優秀な人ほど、達成動機が高いということが統計的にわかっているそうで、「高すぎる達成動機」を持つ人は「達成できない自分」を許すことができないために、グレーな行為に走ってしまうという矛盾に至ることが、山口さんとクリステンセン教授が述べていることです。

そこで必要になるのが、「美意識であり」「人生を評価する自分なりのものさし」につながってくるということ。

日本は特に「罪の文化」より「恥の文化」であることが要因の1つかもしれないという指摘にもすごく共感した。罪を犯すことよりも、恥をかかず周りに認められたいという文化が自分にもあるように感じます。そんな中で、自分を評価する具体的にあものさしが必要になる気がする。

正直な人は損か?

自分なりの物差しをもち、嘘をつかず自分に素直に正直に生きること。 これができればいいけれど、果たしてキャリアで成功する上でそれは実現できるのか?それに当たっては、親切な人が最後に勝つという根拠を科学的に解明した実験があった。

親切にしたほうが良い理由を、科学的根拠に基づいて説明しています。

 

動画には、「囚人のジレンマ」というゲームが登場します。とても有名なゲームで、2人のプレイヤーが「defect(裏切り)」と「cooperate(協調)」という2種類のカードだけを使って対戦します。プレイヤーはそれぞれ、カードのどちらか1枚を選んでテーブルに置くのですが、2人とも「協調」を出せば、互いに300ドルの報酬を獲得できます。1人が「裏切り」、1人が「協調」を出せば、「協調」側には100ドルの罰金が科せられ、「裏切り」側には500ドルの報酬が入ります。2人とも「裏切り」を出した場合は、双方とも罰金10ドルを支払います。

 

毎回の対戦を細かく見ていくと、プレイヤーは、自分にとっては「裏切り」が常にベストな選択肢であるとして、自己中心的な姿勢でゲームに挑む傾向が見られます。ところが、科学者らがコンピューターを使った膨大なシミュレーションを実施したところ、親切心に基づいた作戦でプレイしたほうがはるかに効果的だとわかったのです。

 

「やられたら、やり返す」作戦、つまり、相手が「裏切り」を出したら、自分は次の回では「裏切り」を、相手が「協調」を出したら、自分は次の回で「協調」を出す、というやりかたが、総合的に見て一番良い作戦だという結果が出ました。動画ではさらに、自然界や動物界でも同様に、親切心、つまり、自分がしてもらいたいことを相手にしてあげる姿勢が重要な要素であると指摘しています。自分の利益を考えて周囲に注意することも大切ですが、親切にすることも、常に効果的な戦略なのです。

「親切な人」が最後には勝つ? その根拠を科学的に解明

つまりは、どんな人でもとりあえず信じて見る。もし裏切られたら、裏切り返す。そして、相手が寄り添ってきたらこちらもしっかり寄り添うということ。

こんな生き方をしていたら、振り回されてしまいそうだけど、大事なのはどんな人でも最初から相手を疑っていては誰も信用してはくれないということかもしれないということ。今の時代たくさんの情報であふれているから、どんなことでも疑うことは大事だけれど、人と関わる時、まずその人のことを認めてみることを心がけたい。

epilogue

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「アバウトタイム」という映画が好きで何十回もみている。この映画では、主人公が20歳になった時、お父さんから一族の男は20歳になるとタイムトラベルができることを告げられ、その力を使って人生の伴侶である恋人を見つけようとする物語。

お金でもなく、キャリアでもなく、素敵な恋人を探すなんてやっぱ夢物語でしょ、って一見思うかもしれないけど、それが違和感なく進んでいくのがこの映画のすごいところ。タイムトラベルの力を行使する中で、主人公は様々な人生の教訓を学んでいく。

少しネタバレになるけれど、この映画の好きなところは、物語の中盤を過ぎたあたりで、主人公はお父さんからが見つけたタイムトラベルの真の秘訣を告げられるシーン。

その秘訣とは、1回目は普通の人と同じように1日を過ごし、タイムトラベルを使って同じ1日を、同じように2回過ごしてみるということ。

主人公は1回目の1日で、同僚の失敗に何も声をかけられなかったが、2回目では失敗を笑いに変えて励ましてみる。何気ない店員とのやりとりの最後、2回目では笑顔でありがとうと一言加えてみる。ある仕事を終わらせた時、ふと安堵して終わっていたことを、2回目は同僚と名一杯大はしゃぎして喜んでみる。急いで通り過ぎていた景色に、ふと足を止め、2回目は心から感動してみる。

主人公は、1回目は緊張や不安で気づかなかった人生の素晴らしさに、2回目の同じ1日では気づくことができる。

 

もちろん、人生やり直すこともできなければ、生きていればもう経験したくないほどつらいこともある。

スティーブ・ジョブズがしていたように「今日が人生最後の日」だと思って生きることは正直難しい。でも、毎日の1日をまるで未来から帰ってきたとふと思って生きてみると、何気ない1日をよりよい1日にすることはできる。何気ない日常から学びを受け取ることができる。なにより身近な大切な誰かに優しくできる気がする。

自分の心に素直に正直で、他人に優しくあることで、毎日を幸せに生きることができると思う。そして、こうして振り返りを行うことこそが、タイムトラベルするかのように2回目の1日を生きる秘訣だと自分にそう言い聞かせる。

教養なきぼくの超AI時代生存戦略

20170422191647

個人的なお話

大学を休学した

大学を休学した。それと共に時間がたっぷりできたから、最近流行りのAI系の本を読むことにした。シンギュラリティを迎え、AIによってどんな仕事がなくなるか?というのが、最近のブームであり、メディアも煽っている部分もある。

しかし、「LIFE・SHIFT」によれば、ぼくら20代の若者の半分は、どうやら100歳まで生きることになるらしいから、この変化の大きい時代では、戦略を立てて行動することが求められるだろう。

読んだ本といえば、「日本3.0(佐々木 紀彦/NewsPics編集長)」「すべての教育は洗脳である(堀江貴文)」「LIFE・SHIFT(リンダ・グラットン)」「超AI時代の生存戦略(落合陽一/メディアアーティスト)」などなど。

今回は、本で読んだ知識をまとると共に、自分の経験に基いて考えていること、また、この若い人生のタイミングで、どう行動していくかを整理し、自分に言い聞かせるように書いていこうと思う。

大人達にアドバイスをもらうこと

個人的な話にはなるが、ずっと前からデザイナーという職に憧れていた。そこで、とりあえず休学してしまった僕は、自分で決めた選択が正しいか疑問だったから、半年前にちょびっと東京でのインターンとして働いていた際、お会いした人たちに相談しにいった。

東京にきていた時は、そこまで思わなかったっが、僕の人脈もすくないながらも、何人の方に相談することができ、まさ「ご縁」というものは、ありがたいものだと感じた。

と、同時に話を聞いてみれば、大人達は、厳しい現実を好き勝手いったものだ。

でも、ぼくは「頑張って」と応援してくれる人より、正直に厳しいことを言ってくれる人を大事にしたい。そして、いろんな人に話を聞いたほうがいい。なぜなら、自分の世界は、自分がみたこと、経験したことでしか構成されないからだ。

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同じように、誰かのアドバイスというものは、その人が見たこと、経験したことでしかないから、その事実も把握しておいたほうがいい。

スタートアップ業界では、その人が「何を言っているか」より、「何をやってきて、何をしているか」を見たほうがよいと言われるらしいが、まさにそれと同じだ。

だから、その全てを受け入れる必要はないし、最後に意思決定するのは自分である。それは、素晴らしいようで残酷なことかもしれないけど、おそらく、それが社会に出るということだろう。

ゆとり世代のぼくは、今までまったく意思決定することが少なかった。だから、全て自分で考えて行動することが求めらスタートアップで昨年働いていたが、そこではなかなか苦労したし、その欠如を身にしみて感じた。

また、自分の考えていることを話したり、情報を発信したり、作品を世に出したほうがいい。なぜなら、そうすることで社会のルールや、世の中の反応が帰ってくるからだ。それを全て聞き入れる必要はないかもしれないが、少なくとも、自分がどんな位置にいるのかは把握しておいたほうがいい。

そして何が足りないかを把握し、思考と行動を回し続けるべきだ。少なくとも、情報を発信して損なことはない。しかし、世に作品を出すということは、それなりの評価が返ってくるというのも忘れてはいけない。それはブログやTwitterで何を言うか、というのも同じである。

戦略的なお話

タグ付けで、レアカードになる

ここからは、戦略的なお話をしていこうと思う。その一つがレアカードになることだ。このわかりやすい例としては、ネットで炎上を繰り返しながら、絵本を大ヒットさせるなど、多方面で活躍し、最近話題となっているキングコング西野氏さんだ。

西野さんは、「お笑い芸人」と「絵本作家」を掛け合わせ、いま新しい働き方をしている。そして、このレアカードになるというのは、藤原和博さんの「藤原和博の必ず食える1%の人になる方法」という考え方らしい。

「1万時間の法則」というものがある。これは、特段の才能がない「普通の人」でも、1万時間以上ひとつのことに取り組めば、「100人に1人」の人材になれるというも。これを3つ掛け合わせれ、1/100 x 1/100 x 1/100の人材になるのが、レアカードになるというものだ。

ホリエモンこと、堀江さんは「全ての教育は洗脳である」にて、同じよなことを「タグ付け」と呼んでいる。しかし、堀江さんはこのレアカードになるべき考え方には賛成するが、少なくとも1万時間を3回繰り返す必要はないという。

詳しくは本書を読めばわかるが、例えば、芸能人の厚切りジェイソンは、日本の漢字の変なところを外国人の視点からネタにして、ヒットした。実は彼は、お笑い芸人でありながら、IT企業の会社役員という顔を持つ。

このように、「お笑い芸人」「IT企業役員」「在日外国人」という3つのタグをもつことで、レアカードになった。しかし、この3つ目のタグは、1万時間をかけていないから、このタグはいつでも増やせるというのが堀江さんの主張である。

ぼくはもともとカナダに行きたかったのだが、その中で知っているのは、「高卒なのに海外のバンクーバーで働く」セナさんや、「日本で営業ウーマンだったのに、デザイナーとして海外就職した」Elleさんが、カナダIT界隈では有名みたいだ。

このように、「複数のタグを持つこと」や「〜なのに」というのが、大事な視点だ。ぼくの場合では、安直な考えではあるが、「ベトナムに行って、文系なのにデザイナーになる」というのも一つかもしれない。

とにかく、会社よりも個人が重視される時代に変わりつつあるなかで、この考え方はかなりヒントになるかと思う。しかし、どれも続けるという努力が伴っていることを忘れてはいけない。

ライフ・バランスよりライフ・アズ・ワーク

冒頭の方でも述べたが、「Life Shift」によれば、医療や介護、食が発達し、どうやら20代の半分は100歳まで生きるようになるらしい。そうなると、普通の教育→就職→引退の第3ステージで、65歳に引退しても100歳まで貯蓄はもたない。

また生きる年数が増えれば、求められるスキルも、どんどん変わって行く。

そのため、多様な働き方にシフトするべきというのが、本書の主張だ。例えば、人脈を増やすために世界を旅したり、複数の仕事を持ったり、起業したりするのも、これから増えるという。

確かに一理あるのだが、本書を読み、急にこれを実践するのは、正直かなり難しい。そこで参考になったのが、メディアアーティストとして活動し、筑波大学の助教授を務める落合さんの著書「超AI時代の生存戦略」である。

落合さんは、今まで余暇と仕事のバランスを考える生活「ライフ・バランス」より、プライベートとの区別なく、人生をとおしての仕事「ライフ・アズ・ワーク」を本書で主張している。

つまり、没頭するような仕事をすることだ。今流行っているYoutuberのように、好きなことを仕事すること。また、これからは遊びを仕事にする人が増え、いかにハマるかが重要だと、堀江さんも主張する。

今後の「仕事」では、自分でゲーム的なフレームワークを考えて「遊び」にしていくということが重要になってくる。
超AI時代の生存戦略より

例えばゲームでは、問題と解決と報酬があるから楽しい。スキーをゲーム的に捉えると、「より速く降りるということを問題として、その滑り方を解決し、その報酬として風を切る感覚がすごく気持ちいい」となる。

このように仕事でも、問題と解決と報酬を意識することで、遊ぶようにこなすことができる。そして落合さんは、自分のやっていることを1.「ギャンブル的な報酬」、2.収集欲としての「コレクション的な報酬」、3. 体感的な「心地よさの報酬」と捉えることが重要だと主張する。

逆に、仕事に充実感を覚えず、楽しさが感じられないのなら、この中のどれかが欠けている可能性が高いということだ。

それぞれについて説明すると、1.「ギャンブル的な報酬」は、毎回チャレンジして、競争して、誰かに勝つということが挙げられる。

2.「コレクション的な報酬」であれば、積みあがっていることが「見える」という点が非常に重要で、可視化させたり、わかりやすくさせたりすることが必要になる。

3.「心地よさの報酬」まさに快感を覚えるもの。

ぼくの場合は、例えばブログ一つをみれば、1つ目の「ギャンブル的な報酬」として、バズる記事を書こうとするのも一つ。バズれば結果も報われ楽しいし、バズらなければフラストレーションがたまり、次に頑張ろうとなる。

また、記事を書くことは自分の努力が可視化されるため、2つ目の「コレクション的な報酬」になる。

3つ目に、記事を書くことは自分の考えを世に出すことであり、承認欲求がみたされたり、人から記事を見てもらってレスポンスがあれば単純に嬉しいといった「心地よさの報酬」がある。

これは、ブログのみならず、どんな仕事にも見つけることができ、それを認識し、問題と報酬を意識することが大事である。これから新しい領域を勉強するにあたり、これらを意識して取り入れて行きたい。

教養なきものにイノベーションは生まれない

大学生活では、学問より、課外活動に力をいれた。なぜなら、自分の目標は「自分が本当にやりたい仕事を見つけること」だったからだ。また、就職活動においては「大学で何を勉強したか」よりも、「大学生活で何を学んだか」が求められる。

だから、社会に出ても役に立たない学問は学ばなかった。しかし、少し社会に触れてみると、どうやら世の中は経済学であったり、法学であったり、いろんな学問の領域が根底にあって、成り立っていることを少なくとも感じた。

また、自分が尊敬する人というものは、謙虚で知性を持つ人であり、仕事を通して得た学びは、先代の人々が既に得た気づきや、諺そのものだったのだ。そう気づいたのは大学3年の終わりの頃だった。

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ましてや、デザインというものの根底には、人の心理や、物事の原則に基づいて、デザインされたものが良いデザインと言われるみたいだ。

日本3.0」でも日本人の教養のなさが指摘されていたように、教養の土壌がなければ、おそらくイノベーションは起きない。

別にイノベーションを起こす必要はないかもしれないけど、よーいドンで始めた時に差がつくのは、その人の感性や経験してきたことであり、それらは教養によって磨かれる。

では、せっかくの大学生活を、学問より実学に注いできた僕はどうすればいいのか。それはやっぱり、日々の業務や行動を通して、地道に学んで行くしかない。

事上磨練という考え方にある通り、日々の行動や実践を通じて、知識や精神を磨き修養するしかないのだ。

さいごに

デザイナーとしてのキャリアを歩むにあたって

最後に自分のことについて、もう少し。

未経験ながら、デザイナーとしてキャリアを歩むに当たって、東京の有名なデザイン会社に、働かせてもらえないか一度頼んでみて、話を持つ機会を作ってもらったものの、いい感じにボコってもらった。

どうやらぼくの社会的な評価は、少し意識が高くて、いろいろやってる学生というものらしい。

就職活動では、今まである程度なにかしらやっていたので、いい評価はもらえるかもしれないが、エンジニアやデザイナーという手に職のIT業界では、どれだけ熱意を持っていても、スキルや作品がものを言う世界だ。

今までやってきたことに無駄なことや後悔はなかったけれど、やはり努力を重ねることを怠ったツケがきたと感じた。

では、どうすばいいのか?それはもうやることを絞って、一歩ずつ地道に頑張るしかない。

半年前に東京に行ったが、その情報感度の高さと、切磋できる仲間たち、また定期的に開かれるイベントに優秀な人があつまる現実に驚いた。

そんな環境にいない中で、自分が戦うには、やることを絞り、圧倒的に没頭する必要がある。それについては、上で述べたような仕組みをつくって、着実にこなしていくべきだ。

幸いなことに、今は誘惑が少なく、圧倒的にインプットとアウトプットに注力できる環境にいる。具体的には以下だけでいい。

  • 起きる、食べる、寝る
  • 良いものをみる
  • いろんな人と話す
  • 情報を発信する
  • 筋トレする(体は一番の資本)


「悩むのではなく、考えてください。そして自分の欲しいものを手に入れてください」

そう以前のメンターに言われてから、自分の頭の中で「考える」という機会が増えた。

ゆとり世代のぼくは、すぐに答えとベストな環境を求めてしまう。しかし、人生に正解はない。自分が手に入れたいものを明確にし、日々、思考と行動の両輪を回し続けよう。

とまあ、結局こんな記事を書いても、なんの意味もないのだ。手を動かそう。

自戒をこめて。 by みみずのみずの@mimizunosuguru