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キングダムハーツが照らす、今の僕らに欠けたもの

2019年1月25日にキングダムハーツ3が発表されますね。発売まで1ヶ月を切りました。僕はこのゲームが好きで、プレステの1、2とプレステポータブルのバースバイスリープをプレイしました。

他の作品は、Youtubeで一通りストーリーをみましたが、見終わった後は?が3つぐらい出てきて、全然物語を理解できませんでした。笑

しかし、このゲームでは歴代のかっこいいFFのキャラクターや、誰もが知るディズニーのキャラクターが出てきて、思わずニヤッとしてしまうシーンもあったり、爽快な戦闘、そしてその物語に引き込まれます。

また、メインテーマソングの宇多田ヒカルさんの曲がめちゃくちゃかっこよくて、最近はいつもSpotifyで「誓い」をリピートしています。

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キングダムハーツという物語が一貫して訴えかけるもの、その一つが「繋がる心」です。主人公のソラは、いろんな世界を旅する中で、迫り来る闇からみんなを守り、仲間との絆を深めていきます。その繋がる心がまたソラに力を与え、宿敵に立ち向かう勇気を与えてくれます。

あらゆる世界を旅して、仲間とお別れすることになりますが、ソラは恥ずかしいくらいにこう言います。「大丈夫、また会えるよ。だって俺たち友達だろ?」

絆、心、友達というキーワードに心揺さぶられます。今の社会は以前に比べ、自分が仲間と思える、身内意識を持てるコミュニティーが少なくなっているかもしれません。

ところが、街から身内がいなくなってしまった。

都道府県や市町村レベルはもちろん、町内や地区という意識も希薄になって久しい。

生活空間も文化も風習も共有しないオートロックマンションの住民やニュータウンの住民には、じゅうぶんに身内意識を持てるようなコミュニティが存在しない。

 

最近の日本人が失ったのは「寛容さ」ではなく「身内意識」ではないだろうか。 | Books&Apps

僕らはインターネットというコミュニティーにそれを求めているようにも見えます。SNSは人の繋がりを広げました。どこにいても、友達が何をしているか知ることができます。しかし、SNS疲れという言葉が生まれたように、他者との比較によって不幸になることも増えました。

人びとは自分の絶対的な立場よりも、世間での相対的な立場を気にする場合が多いということだ。

人間とはうらやむ存在である。他人が持っているものを欲しがり、他人が欲しがるものを欲しがる。

一九五八年、経済学者のジョン・ケネス・ガルブレイスは、多くの消費需要は本質的な必要性からではなく社会の圧力から生じると論じた。

人は、自分がいくら稼いでいるかとか、どれくらい消費しているかではなく、知り合いとくらべていくら稼ぎ、どれくらい消費しているかによって、自分の成功の度合いを判断するのである。

つながり 社会的ネットワークの驚くべき力

ある知り合いの人は、 たくさんのフォロワーを抱え、有名な人と仲良くしている。SNSを見ていると、まるで自分の世界のように彼らのやりとりが情報として入ってくる。そんな光景に僕も疲れることがあります。

しかし、人間が保てる関係というのには限りがあります。人類学者ロビン・ダンバーは、人間が安定した社会関係を維持できる人数の認知的上限は150人ということを明らかにしました。これはダンバー数と呼ばれています。

この説に対して、Facebookでこれが本当か実験した人がいるのも面白いです。

wired.jp

これを考えてみると、いかにSNSでフォロワーを増やしたり、有名な人と仲良くなるために頑張ろうとする、それに憧れることが虚しいことに気づきます。

もちろん友達を増やすのは大切です。しかし、それを追い求めるが上に、周りの人を大切にできなければ本末転倒なのです。僕たちが人にかけられる時間には限りがあるのですから。

キングダムハーツ3のFinal Trailerで、主人公のソラに王様であり、友達のミッキーがこう言います。「1人で抱え込まなくていいんだ、ソラ」

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【KINGDOM HEARTS III】Final Trailerより

こんな心強い友達がいれば、なんて素晴らしいんだ。。。そう周りに求める自分に気づき、自分が友達にそう言ってあげられたらいいな、と思うのです。

結局何が言いたいかといと、キングダムハーツは最高ということです。(ただのミーハーです)

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