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努力できない中二病が目指すべき漫画の主人公のあり方

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ぼくはたぶんかなり中二病だと思う。プロフィール画像を自分で合成してあたかも双子のようにしているとこだけ見てもかなり痛い。でも、人には光と闇の2面性を持ち合わせていて、どちらも大事にしていくべきなんだ←

とまあ冗談はさておき、中二病のぼくはなかなか意識が高いと思う。でも努力できないゆとり世代のバカで意識だけ高いというのは非常に危ないし、「自分はこうなるんだ!」みたいなことを宣言して満足することも多い。

そこで今後の人生で意識していきたいのが尊敬するシリコンバレーで現在活躍しているエンジニア、上杉周作さんのこの記事です。

『日本の若者は少年漫画の主人公を「演じる」べきではない。「目指す」べき』 by 上杉周作氏 | Memento Mori

『日本の若者は少年漫画の主人公を「演じる」べきではない。「目指す」べき』 by 上杉周作

 宣伝されまくってる「宇宙兄弟」のせいで最近また漫画を読み始めたのだけど、


1.偏見と憶測だが、日本の若者は英語プレゼンの時に少年漫画の主人公をめざすべきではない
2.偏見と憶測だが、日本の若者は将来を考えるときに少年漫画の主人公をめざすべき

だと思いました。

 日本の若者は英語プレゼンの時に少年漫画の主人公をめざすべきではない

1.偏見と憶測だが、日本の若者は英語プレゼンの時に少年漫画の主人公をめざすべきではない

SF Japan Nightの予選のビデオ http://ustre.am/:1s3nh

TEDxUTokyoの予選のビデオ http://ustre.am/:1vpmG では日本の若者が世界に向けて英語プレゼンをしているのが見えますが、上手い悪い関係なく、「無意識に少年漫画の主人公になろうとしている」気がするのです。文字で表現するのが難しいのですが、「この人は少年漫画の主人公になろうとしているのか?」を頭にいれてプレゼンを見てみると、Yesの確率がMaybeの確率より高くなる気がするのです。ほかにも、

生意気さだけがとりえの気がする。大きいことを言うのはいいのだけど、多くの少年漫画の主人公の生意気さは、4億ベリーがつくほどの圧倒的な実力があってこそ機能している事を忘れないで。優秀な若い人がみんな元気なのは分かっているので、それを表面に見せる意味はありません。他で勝負するべきです。静かに燃える主人公のライバル的存在を真似して、若者しかできない発想を語るほうが「若者の英語プレゼン」では機能するのではないかと個人的に思います。

決め台詞で勝負をかけてる気がする。短いプレゼンではドン!と人が涙を流すセリフを言うための舞台を作りにくいのだから、無理しなくていいのです。フレーズは感動させるのではなく覚えてもらうことを目的に。テニプリの「リズムに乗るぜ」みたいに要所で入れるほうがいい。有名なSimon SinekのTEDの"People don’t buy what you do; they buy why you do it.“みたいに。

一秒間あたりの人の心を動かす量が少ない気がする。漫画は読む人の心のジェットコースターだが、主人公の心情描写の時間に比べると、他のキャラの登場時間は圧倒的に少ない。だから他のキャラは登場時間ひとコマあたり、主人公より大きく人の心を動かさないといけない。多くのアイデア・プレゼンは短く、人もすぐ飽きるのだから、できるだけ「人の心を動かしてない」秒数を最小化しないといけない。コナンの一事件を最初から最後まで見るよりも、複数の事件から黒の組織の登場シーンばっかり抽出するほうが観衆にうける気がするのです。

プレゼンのゴールとは??

ここで確認しておきたいのはプレゼンの目的、ゴールというものはなんでしょうか??例えば「伝えること」や「相手に理解してもらうこと」などの答えが多いと思いますし、ぼく自身もそう思っていましたが、そうではありません。

プレゼンのゴールというものは「相手を動かすこと」

参考になるのがこれ。「伝えること」は目的じゃない。プレゼンでもっとも優先すべき事項とは? | ライフハッカー[日本版]

プレゼンの目的を、「商品の魅力やサービスのすばらしさについて、スライドを見せながらすらすらと話すこと」、あるいは「カッコよくまとめた資料を使い、提案や情報を相手にわかりやすく伝えること」だと考えている人は少なくないはず。しかし著者は、「話すこと」や「伝えること」はプレゼンのゴールではないと訴えています。では、私たちはなんのためにプレゼンするのでしょうか? 答えは、「相手を動かす」ため。

スマートな資料をつくったり、それらを使ってなめらかに話すことは、すべて通過点。なぜなら、私たちがプレゼンをするのは「ビジネスの現場」だから。極論をいえば、ビジネスとは「相手を動かして、お金をいただくこと」。その目的を達成できなかったのなら、そのプレゼンは「失敗」だったと断言していいとすらいいます。どんなケースであったとしても、ゴールは同じ。プレゼンで話をしたあとに、どれだけの「アクション」が起きたか? それだけが、プレゼンの価値を高めるのだという考え方です。

いくら「すばらしいお話でした。とてもわかりやすかったですよ」といわれても、最後に「でも、今回は買いません」といわれたなら、そのプレゼンにはなにかが足りていなかったと考えるべき。逆に、緊張のあまり声が震えていようと、スライド機材のトラブルで発表がグダグダになろうと、聞いた人が「動かずにいられなくなった」のであれば、そのプレゼンは成功したということ。

つまりプレゼンにおいて重要なのは、商品の魅力やすばらしさを話したり、提案や情報をわかりやすく伝えることではなく、相手を自分が意図した方向に動かすことであると言っています。

なかなか難しいですが、たとえばビジネスにおいて「すばらしい話でした」や「感動的な話でした」ではだめ。素晴らしい話や感動的な話を通して、相手を動かすことが重要だということではないでしょうか??

ここで上杉さんの記事に戻りましょう。要点は3つ。

  1. 生意気さだけがとりえの気がする
  2. 決め台詞で勝負をかけてる気がする。 
  3.  一秒間あたりの人の心を動かす量が少ない気がする。
生意気さだけがとりえではよくない

生意気さだけがとりえの気がする。大きいことを言うのはいいのだけど、多くの少年漫画の主人公の生意気さは、4億ベリーがつくほどの圧倒的な実力があってこそ機能している事を忘れないで。優秀な若い人がみんな元気なのは分かっているので、それを表面に見せる意味はありません。他で勝負するべきです。静かに燃える主人公のライバル的存在を真似して、若者しかできない発想を語るほうが「若者の英語プレゼン」では機能するのではないかと個人的に思います。

プレゼンにおいての主人公の生意気さはあまりよろしくない。というのも主人公には圧倒的実力がついているから。まだまだ未熟な若者が、大人に負けないくらいおっきなことを語ると「君にそれをするだけの実力と覚悟はあるの?」と思われそう。

それよりも若者にしかできない発想で勝負すべき。そうすれば他で惹きつけられるのかもしれない。

決め台詞で勝負をかけてすぎるのはよくない

決め台詞で勝負をかけてる気がする。短いプレゼンではドン!と人が涙を流すセリフを言うための舞台を作りにくいのだから、無理しなくていいのです。フレーズは感動させるのではなく覚えてもらうことを目的に。テニプリの「リズムに乗るぜ」みたいに要所で入れるほうがいい。有名なSimon SinekのTEDの"People don’t buy what you do; they buy why you do it.“みたいに。

 人を感動させるにはそれだけのストーリーを時間をかけて説明する必要があので、短いプレゼンにおいてそれは難しい。なのでプレゼンで決めセリフをいれなくても、要所要所で覚えてもらいやすいフレーズをいれていくべき。

一秒間あたりの人の心を動かす量が少ないのはよくない

一秒間あたりの人の心を動かす量が少ない気がする。漫画は読む人の心のジェットコースターだが、主人公の心情描写の時間に比べると、他のキャラの登場時間は圧倒的に少ない。だから他のキャラは登場時間ひとコマあたり、主人公より大きく人の心を動かさないといけない。多くのアイデア・プレゼンは短く、人もすぐ飽きるのだから、できるだけ「人の心を動かしてない」秒数を最小化しないといけない。コナンの一事件を最初から最後まで見るよりも、複数の事件から黒の組織の登場シーンばっかり抽出するほうが観衆にうける気がするのです。

 これもさっきのとつながってきそうですが、ストーリーで語り最後に"ドン!"と感動させるよりも、できるだけ何回もひとの心を動かすようなプレゼンにしていくべき。プレゼンは短く、人もすぐあきちゃう

以上が、(英語)プレゼンにおいて漫画の主人公を目指すべきでない理由です。

日本の若者は将来を考えるときに少年漫画の主人公をめざすべき

2.偏見と憶測だが、日本の若者は将来を考えるときに少年漫画の主人公をめざすべき

英雄物語を語るのに非常に有効な方法が「モノミス」であり、簡単に説明すると「ヒーローは普通の世界から冒険の旅に出て、厳しい試練を乗り越え、新たな能力を手に入れる。それを使って敵を倒す。最後は故郷に戻り、世界を良くする」といったもので、桃太郎を含む世界中の多くの物語はこのモデルにならい、多くの少年漫画のストーリーも似たようなパターンです。

特に多いのが「このままでは○を超えられないから、長期間の時間を犠牲にして修行に励む」というもの。ほとんどの漫画では、修行中では物語をすすめるイベント(アウトプット)が行われず、主人公はインプットをするのみ。そしてお約束として、修行の前後では見違えるほど主人公が強くなっている。

俺のまわりには同世代や下の世代で漫画のような人生を歩み、常に限界を出して活動している友達が多いのだけど、この「物語が進まない修業」にあたる部分を自分の人生で計画的にやろう、としている友達の数となると、極端に減る。それは留学でもいいし、旅で世界の悲惨な現場をみるのでも何でもカウントするのだが、極端にいないのだ。

自分の中ではアメリカでも難しいと言われる大学で四年間、電車と遊び場が200キロ圏になく、冬はマイナス10度前後という地獄に閉じ込められて勉強した時がそれで、その修業分で食っているのだけど、また足りなくなったら修行に出るつもりです。しかしそういう思考で動いている若い日本の友達は少ない。インプットとアウトプットを両方最大化しようとしている友達よりはるかに少ない。自分にとってまったく新しいことを学んでいたら、しばらくはアウトプットなどろくにできないはずなのに。いま成功しているのならいいけど、成功していないのなら下手に何かするよりも、少年漫画の主人公を見習って修行を考えたほうがいい気がするのだ。

つまり漫画の主人公を目指す時なのは、自分のアイデアを伝えるときではなく、自分の将来を考える時に主人公のように行動することだということ。

それが少年漫画ではおなじみの「このままでは○を超えられないから、長期間の時間を犠牲にして修行に励む」というものです。

ナルト、ワンピース、スラムダンク、MAJORでも、少年漫画に欠かせないもの。

それが「修行」

ぼくにとってこれにあたる一番イメージしやすいのはドラゴンボールの「精神と時の部屋」。

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ツイッターやフェイスブックやブログなどで「自分の信念を持って行動する、そしてそれを宣言する」ハードルが下がったいま、正規分布の山の部分にあたる若者が「意識の高い層」になだれ込んでいる。別に意識が高いことは大いに結構だし、自分も山の部分にいるので偉そうなことは言えない。だが山の部分に属する学生の多くは、心の底では、世界を魅力的にすることと同じくらい、自分を魅力的にすることも優先している気がする。憶測だし、それも大いに結構なのだが、自分を魅力的にしたいのなら、いつ漫画の主人公のような考え方をもち、いつ持たないべきかをじっくり考えたほうがいいと思うのです。

 SNSが広がり自分の信念を宣言するハードルが下がった今、多くの人がすごいひとに憧れ意識が高い層になだれこんでる。それは自分もそうだし意識が高いことはいいことだと思う(意識が高いというのはあまり好きな言い方ではないけれども)

そこで気をつけなくてはいけないのは、「意識高く信念を持ち宣言することで自分を魅力的にすることを優先してはいけない」といことだとぼくも思いました。

TEDでも自分の目標や野心を話すことはその実現の見込みを下げてしまうことが多いと述べられています。

www.ted.com

大切なのは自分を魅力的にしたいのならいつ主人公を見習うべきかを考えるということ。それはアイディアや夢を語る時では、自分を魅力的に見せることにつながってしますかもしれない。

そうではなくて、今成功していないのなら主人公のようにこのままでは○を超えられないから、長期間の時間を犠牲にして修行に励む」これを一番に見習うべきかもしれない。

ぼくが思う主人公のもう一つの見習うべきあり方

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上杉さんの言う通りいままでのぼくには「修行」が足りなく、理想を語り夢見ることで満足していたと思います。

また、自分的に見習うべき主人公のあり方は、「信念を貫き通すこと」だと思う。

以前までは、「やっぱり漫画の世界だし結局は夢物語でしょ??」なんて思うことがあったけれど、少年漫画が伝えようとしているものは究極の本質なのかも。

それは信念を持って行動し、それを貫き通すこと。

たとえばナルトであれば、「夢は火影になること」。それが信念にあたるけれど、ナルトは万年ビリの落ちこぼれ。でもナルトはどんなに笑われてもあきらめず努力し、夢に向かっていく。

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ぼくはこれが自分に一番足りないと思う。

現実世界ではなにかと行動する前に、「自分には無理だ」「才能がない」と行動する前からあきらめちゃっている。

またなんとか行動できたとしても壁や困難にぶつかった時に「やっぱり自分にはだめだ・・・」とかあきらめてしまうことが多い。

けれども漫画の主人公はそんなときに「自分の信念をあきらめない」。そしてそこに繋がるのが「このままでは○を超えられないから、長期間の時間を犠牲にして修行に励む」だと思う。

もちろん「漫画の世界だからみんな成功するんだよ!」と言ってしまえば終わりなのだけれど。それを言う前にそれだけの努力をしたの?と自分に問い続けていきたい。

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少なくともあきらめずに向かって行動していく主人公たちはかっこいいし、励まされると思うし、それを目指すべき。

そしてこれをブログに書いて満足するのではなく、行動したい。

自戒を込めて。