mimizunoBlog

何気ない日々から学びを受け取るブログ

学問より、実学に重きを置いた大学生活で、ぼくが学んだこと

f:id:mimizunomizuno:20170111231634j:plain

2017年を迎えた。来年でぼくは大学4回生になり、一応就活という時期に入る。この3年間ではたくさんの活動をした。 

ぼく学んだこと

この3年間では本当にたくさんのことを学んだと思う。それと同時に、学ばなかったこともある。人生とはトレードオフだ何かをやるということは、何かをやらないということ。それはつまり、何かを身につけるには、他をしない決断が必要があるとも言える。

1年間の営業活動と運営。フィリピンへ短期留学とプログラミング学習。カリフォルニアへのホームステイや、ベトナムへ2週間の海外インターン。4日で起業体験をするハッカソンも体験した。最近ではITスタートアップでインターンをし、この夏休みは東京で1人、ビジネスサイドとして働いた。

いい意味でいろんなことをし、悪い意味ではいろんなことをしすぎたかもしれない。しかし、ここまでいろんなことを頑張れたのは、自分の「やりたいこと」「やりたい仕事」を探すためだった。

ぼくが学ばなかったこと

f:id:mimizunomizuno:20170111231715j:plain

これまで、いろんなことをしてきたけれど、ぼくは「学問」というものをほとんど学ばなかった。なぜなら、大学で学ぶ学問は役に立たないからだ。

ぼくは1年浪人して大学に入学した。(本当は現役でも第一志望に合格していたけれど)なかなか苦労して大学に入ったから、この4年間でなにかを身に付けなければならない気持ちが強かった。

しかし、友達に聞くと「大学の勉強はつまんないよ」とか、「大学は人生の夏休みだから、ちゃんと遊んだ方がいいよ」と言われた。また、大学入学時、ぼくは経済学部だが、学部長が生徒全員に「経済学は役に立つかとよく聞かれますが、はじめに言っておくと役に立ちません。ですが、学問を通して考えることが大事です」と言っていたから、何のために勉強するんだろうと悩んだ。

「考える力なんて、別に学問じゃなくても仕事を通して学ぶことができるのではないか?」そう思った。また、就職活動では、「大学で何を勉強したか」よりも、「大学生活で何を頑張ったか」が問われる。就活セミナーみたいなものに参加した時、人事の人に「大学で勉強する価値って何なんですかね?」って聞いたら、「単位は大事だよ」って言われただけだった。

スキルを身につけることを重視した3年間

f:id:mimizunomizuno:20170112180535p:plain

だから、僕は「この学生時代にこれを身に付けたって」言える何かを得たくて、学問よりスキルを身につけることを重視していろんなことを頑張った。

大学3年生の夏には「Startup Weekend」と言われる、3日間を利用してアイデアを形にするための方法論を学ぶ、スタートアップ体験イベントに参加した。 参加した目的は、優秀な人に揉まれて、自分を焦せらせるためだった。

結果的にはその目的は達成できたけど、本当に思い出したくないくらい何もできなかった。そして、チームで一緒だったエンジニアの子にはたくさんのことを教えてもらって、その子はプログラミングというスキルで何かを生み出す力があったから、やっぱりスキルを身に付けないと思った。なにより「エンジニアは神」ということを身にしみて感じた。

その後は、起業したばかりのITスタートアップでインターンとして働き、夏は東京でビジネスサイドとして働いていたのが最近の話だ。本当は休学して、東京にてフルコミットしようと思っていたのだけど、いろいろな理由が重なり、いまは京都に戻って学生をしている。

ある授業との出会い

今まで何かと一生懸命がんばってきて、ゆっくり考える暇がなかったけど、一気に考える余裕ができた。と同時に、なにか燃え尽きたというか、全てにやる気がなくなってしまい、家に引きこもってしまった。

それから色々あったけど、なんとか学校に行って、興味のある授業に出てみた。それは貧困国を対象とし、「多文化共生」をテーマに、異なる研究テーマを 持つ大学の院生が、一人の先生と少人数の生徒で議論する授業だった。ぼくは「貧困」や「途上国支援」に興味があり、それをテーマにとし、来年留学するために、奨学金を取得しようとしていた。そのため、知見を広げるためにも先生にお願いして参加させてもらった。

実際参加させてもらうと思った以上に、とても楽しかった。それは、今までの大学の授業で一番学びが多かったと感じられるほどだった。今までの先生1人に対しての生徒60人規模の授業ではなく、少人数の教室だったため、先生との距離が近かった。

異なる分野を専門にする生徒一人一人が意見を持って発言し、それに対して先生も反応し、真剣に考え議論しているのが楽しかった。なにより、真剣に世界の問題に対して考えて勉強している院生の人たちは、魅力的だった。

意見を持つということ

先日、「「言葉にできる」は武器になる。 」という本を読んだ。本書は電通のコピーライターとして働く筆者が、今までの経験をもとに、いかに自分の考えを言葉にするかをまとめたものだ。

mimizunoblog.hatenablog.com

筆者の主張は、多くの人がうまく喋るコツやたスキルに頼っているが、それでは本当の力はつかない。本当に大切なのは小手先のテクニックではなく、自分の意見であり、考える時も、自分の言葉で考える「内なる言葉」に気づき、これを磨くことだということだ。

これはまさに良くない例として、自分が当てはまっていると思った。今までスキルを追い求めて頑張ってきたが、そもそも日常の問題に対して疑問を持ち、それに対して考え、意見を持つことことが重要なのではないだろうか?もしかしたらそれが学問を学ぶということなのだろうか?

学問を学ぶということ

f:id:mimizunomizuno:20170112181033p:plain

今まで、大学での学びより、学外の活動を重視していた僕だが、授業を払うたびに心が痛んだ。学生という、いろんなことに挑戦できるという期間のためと割り切っていたけど、やっぱり引っかかるものがあった。

そこで、東京にいた時シェアハウスで出会った、尊敬する一人の師匠とたまたまFacebookでメッセージしていたため「学問を学ぶこと」について聞いてみた。

左:師匠(ベンチャー業界のますたーおぶえんじにあ)

右:ぼく

 

エンジニアスキル上がった?

 

エンジニア最近してないからすごく良くない

 

え、なにしてんの

 

すごいニートしてます。学問ってなんなんですかね?

 

教養は大事だよ

 

・・・教養はだった。 

 

真面目に答えようか。

 

\(° °  )/!!!

 

生活や仕事に役立つとか、そういう実感が学問で学べる『知性』ではないんだよ。ビジネスでトライアンドエラーで学べる実感だけしかないなら、動物と何も変わらないよ。 何かを論ずる時に『キモい』とか『楽しい』とか『おもしろい』とか言ってるうちは女子高生といっしょ。実感ってのはさ、形容詞で終わるんです。でもビジネスはそれで完結できるんだよね。 一方で実感を持てない世界、つまり『学問』(=『自分が生まれるよりも前の世界)を自分の頭の中で再構築できれば、『今』をも再構築することができる。その想像力や構想力を学べるのが『学問』 ベンチャー業界のビジネスは、正直実感でも当たれば成功するからね。でもこれからは学問や教養等のリベラルアーツを知らないと成功しないかもしれない。

 

これ以上ここに書くと怒られるかもしれないから、ここまでにしておくけれど、本当に的確なアドバイスをもらって、師匠にはとても感謝した。

こうして考えてみると、今までの自分の活動とか、身に付けようとしていたものは、小手先のテクニックにすぎないと思うばかりだった。そもそも、僕が尊敬する人っていうのは、何に対しても興味を持って、自分の意見を持ち、なにより思考が深くて、そして謙虚な人たちだった。

その点僕は、何かスキルを身につけるにしても、それ以外は必要ないという考えで、世間や社会は別に自分とは関係ないから、どうでもよかったけれど、今思えば、本当に薄い人間だなと、最近は思う。

武器としての教養が大事かもしれない

ワーク・シフト という本を読んだ。これからの時代、テクノロジーの発達によって、たくさんの仕事のあり方が変わり、ロボットによって奪われてしまう。自動翻訳によって、英語を学ぶ必要がなくなるかもしれないし、プログラミングの学習コストも、もっと下がっていくと、多くの人が言っている。

世界では、たくさんの英語ができる人、プログラミングができる人がいる。さらにこのスキルの価値が下がる中で、何を高めて行くべきか?それがもしかしたら、教養というものなのかもしれない。

僕のような、どれも中途半端なスキルを身につけただけでは、おそらく、生き残れないかもしれない。英語で言えば、中身のない英語を喋るだけであったり、営業やプレゼンでは、おきまりの文句やパターンを使うだとか、プログラミングであれば、このメソッドを使えば大丈夫だとか。

すぐ役に立つことは、すぐ役に立たなくなる

 これは慶應義塾大学の塾長であった、小泉信三の言葉だ。半年前にあるブログ記事を書いた時、これと同じようコメントをもらい、その時はまったく実感がなかったが、今はすごくこの言葉が身にしみる。

また以下の言葉も有名な言葉だ。

愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ

大事なのは、何を考え、何を喋るかだと思う。それがもしかしたら、教養といわれるものなのかもしれない。そしてそれが学問を学ぶということかもしれない。

学問とは、文字の通り、問うて、学ぶことだ。日々日常から、問いを立て、それについて考え、知識を得て、自分なりの答えを出し、学んでいくこと。それが、学問なのかもしれない。(参考: 問うて学ぶ(やまだようこ) )

教養について調べてみたら、池上彰さんの言葉がとても参考になった。

教養=リベラルアーツの、リベラルとは、さまざまな枠組みから自由になることである。
では、どんな枠組みからどう自由になることなのか。
まず、それを考えること自体が教養の第一歩である、ということ。
そして、これまでの常識が通じない、変化の激しいいまのような時代においては、教養こそが次の解をだすための実践的な道具になり得る、ということ。(引用: 学び続ける力 (講談社現代新書) )

また海外の大学では、リベラルアーツ教育に力をいれており、すぐに役に立つ学問を教えていないと言っている。

では、「リベラルアーツ教育」とはどういうものなのでしょうか。昨年、他の先生たちとアメリカに視察に行きました。ハーバード大学の近くのウェルズリー女子大学(ヒラリー・クリントンやオルブライト元国務長官を輩出した名門女子大学)で、学生にどんなことを勉強しているのかを聞いてみました。経済学を勉強している学生に、「経営学も勉強するのかな?」と聞いたら、「経済学は学びますが、経営学は学ばないんです」と言うんです。「日本なら学ぶけれど、どうして?」と聞いたら、「世の中がどのように動いているかを知ることは、社会に出たらとても必要なことです。だから、経済学は教養として必要なんです。でも、経営学は役に立ち過ぎるんです。役に立ち過ぎるようなことは、大学では教えないんです」と答えました。たまげちゃいましてね!「大学でこそ、本当に役に立つことを教えなきゃいけないだろう」と思っていたら、そうではないんです。「役に立ちすぎることは教えない」と言うんですよ。どうしても経営学をやりたかったら、経済学の基礎を学んた後に大学院へ行けばいい。ビジネススクールに行って勉強すればいい。つまり、「すぐ役に立つことは教えない」という考え方です。(引用: おとなの教養―私たちはどこから来て、どこへ行くのか? (NHK出版新書 431) )

3年間頑張ってきて気づいたこと

f:id:mimizunomizuno:20170112180924p:plain

そう考えれば、自分の3年間を学問に打ちこまなかったのは本当に勿体無かったなと痛感するばかりだ。では、自分の3年間は無駄だったのだろうか?いや、きっとそうではない。

「事上練磨」という諺がある。ぼくはこの言葉が好きだ。これは、実際に行動や実践を通じて、知識や精神を磨き修養すること。日常の業務をしっかりとこなして、それを通じて修養することが真の学問だとする陽明学の基本的な考え方である。

今までいろんなことに挑戦した。もしかしたら、方法は間違っていたり、失速して落ち込むこともあったけれど、本当にたくさんの学びがあった。ほとんどは失敗ばかりだった。けれど、それは行動したからこそ、得ることができたし、人は失敗せず学ぶことはできない。

そして、社会と触れ合うことで、日常のいろんなことに興味を持てるようになったし、なにより、もっとたくさんのことを勉強したくなった。

ここまで書いてて、かなり意識は高いなーと自分でも思うばかりで、しかも何も成し遂げてい。でもやはり発信することは大事だと思う。少なからず、自分のことを発信することで、アドバイスをもらったり、いい意味で批判もしてくれる人がいるから、それを忘れずにこれからも頑張って生きたい。

ということで、こんな自分にアドバイス等あれば、お待ちしてます。今年の目標は「必死に生きる」より「精一杯楽しむ」です。これからもよろしくお願いしますm(_ _)m

みみずのみずの